今年も残すところ今日と明日だけになった。

月並みな言い方だが、本当にあっという間だ。

私の場合、7年前に次女を亡くしてから、見えてくる世界がガラッと変わっていて、

見える世界が変わると、時間の感じ方も変わってくるようだ。

なんと言えばいいものか、、

実のところ、単純に時の流れが早い遅いと表現できるものでもない。

年を経るごとに目新しいと感じるものが増え、刺激的でやたらと面白い。

これらの多くは次女が見せてくれているような気がしてならない。

とても次女らしいではないか、と思う。

元々知らないことの方が圧倒的に多いと思っているのだが、

こんなにも知らない世界があるのかと、

ビックリの連続で、私の心と身体はワクワクしている。

その意味では時間を忘れている。早いも遅いもない。

大好きだった祖父や父が亡くなった時にも、似たような感覚になったことを思い出す。

だが今は、同時に焦りのような時間の足りなさを感じてもいる。

やってみたいことが多すぎて、とても自分の作業が追いつかないのだ。

ぼんやりとした焦りのようなものが、ある。

これはどういうことか。

宇宙物理学上、時間は存在しないとも言われている。

私は物理の専門家ではないので上手く説明できないが、

説明を聞いたり、書物を読んでいると、

なんとなくわかるところもある、、気がする笑

そして今、私は3次元の世界に人間として存在しているようだが、

この肉体に閉じ込められているように感じている私の心は、

私の居場所、私を取り囲む多くの物事、毎日降りかかってくる無数の出来事などの影響を受けている。

そして、いちいち私の感情が揺れ動く。

これは、この肉体があるからだと、そう思う。

うまく説明などできないが、私は祖父も父も次女も、

今は3次元上の肉体がないというだけで、

私と強く結びついているとはっきり感じている。

実は私には、生まれてくる瞬間の記憶がなんとなくある。

ポカポカ温かくて少し薄暗い場所から、

広いようで実は狭くて、ちょっとだけ寒くて、明るいと思えば明るい場所にこれから飛び出していく。

その時の気持ちをはっきりと覚えている。

「さあ、これからいっちょやってやるぞ!」そう思って生まれてきた。

そこのところだけはっきりと覚えているのだが、前後の記憶はきれいに断絶している。

でも、その時の意気込みというか、

気持ちの根底にあるものを、

54歳になった今に至るまで、一切揺るぎなく連続的に持ち続けているのは間違いない。

私にも毎日色んなことがあって、人としての感情が揺り動いているが、

この根っこのところが揺らいだことはない。これからもそうだと思う。

人生は映画みたいなものだと話す人もいる。

若い頃は何を言っているのか全然わからなかったが、今の私は、なんとなく共感できる。

嬉しい、楽しい、心地よいことばかりではなく、

その何兆倍も、辛くて悲しくて思いどおりにいかないことがたくさんあり、

とりあえずは勝手に涙が出るし、残念だったり相当に辛いこともあるのだが、

根っこのところはなんだか全然平気なのだ。

そこらじゅうに無数に転がっている、一見自分には関係のないような小さな愛が、やたら胸に沁みる。

大好きだった祖父、父、次女も、ご先祖さま、すべての精霊たちが、ずっと私を見守ってくれている。

それは私が人間として生まれる前からそうだったように思う。

そうしたことに気づくのも、この人生の、大事なミッションの一つなのではないかと感じている。

大事なことの一つに気づいたのかどうかわからないが、

今の私は、そんな気がしていることには違いがなくて、

そんな感じで、ぼんやりとした今の焦りのようなものにも向き合っていこうと思う。

不思議なことに、似たようなことを考えている人との出会いが増えている。

ツインレイ(魂の片割れ)とか、アセンション(次元上昇)などという言葉があるが、

3次元にいながら違う次元の存在をも感じているような、、

今年一年は加速度を増してそんな一年だった気がする。

振り返ると、

長女が元気な男の子を産み、息子は転職先を決めて新しい挑戦を始めている。

私も妻も、地域で何気ない日常をこれからも積み重ねていくと思う。

2024年もよろしくお願いします!