この夏も「面白い!」と感じることが多く、まったく退屈していない。

今はネット上の広告収入やアフィリエイト、暗号資産などについて試したいことがあり、実際にビジネスの経験を増やしていきたいのだが、

地域のプロ野球独立リーグや少年野球、鉄道や先住民族などの歴史や文化に関わる活動も大切にしたいと思っていて、あちこちに顔を出している。

また、公務員時代からご縁のあった福祉事務所の方々とお話する機会も多く、時々お手伝いさせていただくのも学びになっている。

真っ最中の東京五輪も多少気になるが、優先順位が低くほとんど視ていない。

視るとしたら、卓球、野球、ソフトボールくらいか。

陸上も水泳も柔道も、子どもの頃はよく視ていたが、今はどうでもいい。

短時間で決着のつく純粋な腕力勝負より、

今の私が興味を持つのは、

研ぎ澄まされた精神と精神のぶつかり合い、長時間にわたる高度な駆け引き。

その意味で、今は卓球の伊藤美誠などに興味を持っている。

五輪そのものに関しては、ずっと前から、一言で言うと狂気だと思って眺めている。

商業主義的で、あまりにも国家意識が強過ぎるなど、根っこから狂っていると思うが、

五輪だけが特別にダメなわけではないし、毛嫌いしているわけでもない。

スポーツそのものに罪はない。

そこに人を惹きつける強い魅力があるのも事実である。

狂ってはいるが、五輪は現代社会の傾向をよく表していると思うので、

世相の観察目的でなんとなく眺めてはいる。

前にもブログに書いたが、

多くの人にとって、五輪は基本的に他人事である。

日本人選手と言っても大部分は面識さえないのだし、

彼らの競技結果で私たちの生活が劇的に変わるわけでもない。

そんなことよりも、今は時代の変わり目にあり、

国や組織よりも、一人ひとりが今をどう生きるかが大切になっている。

自分のやりたいことは何か。人生において果たすべき役割は何か。

五輪よりもそうしたことを考えている人が多くなっている。

戦後復興期の一丸イメージを呼び起こそうと、

震災やコロナと絡めて「復興五輪」、「コロナに打ち勝つ」などの看板を掲げてはいるが、

こうした言葉が人々の胸に響くような状況にはない。

多くの人が個人の時代を実感している。

強い者、速い者だけが勝者ではない。

他者へのリスペクトをベースにした精神世界が意識されつつある。

そこで互いに成長しあいながら生きることに価値を見出す人が増えている。

伊藤美誠選手を眺めていたら、眺めているだけではいられなくなってくる。

私は卓球はしないが、

やはり自分のやりたいこと、役割に向き合わずにはいられない。

五輪は狂気だが、

狂気の中にも未来に繋がる、キラリと輝くものがある。

捨てたものではないと思う。