日曜だというのに、外がまだ暗いうちに目が覚めた。

私は平日に早朝仕事をしているので、この時間に体が目覚めるのは珍しいことではない。

だが、今朝はそれとは違う。

どこか既視感のある夢を見ていて、

その夢の区切りのついたところで目が覚めたような。。

どんな夢だったか、正確には覚えていないのだが、

今もなんとなく、その夢を引きずっているようでもある。

私は、何故か居間の一番大きな窓の近くで、薄い寝袋にくるまったまま眠っていた。

いつもは二階の自室で大きな布団をたっぷり掛けて温かくして寝ているのだが、

昨夜に関しては、

強い眠気の中で、

窓の外の風の動きや、真冬の凍てつく冷気を、微かに感じていたい気持ちがあったのを覚えている。

先日、家族と1902年の八甲田山の話をしていたからだろうか?

寝起きの体に微かに残る記憶を辿っていくと、

明け方に私が見ていた夢は、

小学生の時に読んだ、宮澤賢治の童話「水仙月の四日」の世界、だったような気がする。

たぶん私は、

この童話の主人公、赤い毛布にくるまった子どもの視点から夢を見ていた。

私は、ただひたすら、

青火の揺れる炭にゆっくりと息を吹きかけ、

そして、

赤砂糖とザラメが鍋のそこでくつくつしているのを眺めていた。

ただひたすら、炭を静かにゆっくり吹いて、砂糖とザラメが溶け合うのを眺めていた。

これまでに感じたことのないような寒さと冷たさの中にいるのだが、

子ども時分から使っている小さな毛布ではどうにもならないのだが、

私は、美しい青火と、赤砂糖とザラメが混じり合うようにして溶ける様子に没頭していた。

この毛布が、鍋底で溶ける赤砂糖と似たような色をしているというだけで、

私は全てに満足していた。

頭の片隅には、

常に誰かが守ってくれている感覚みたいなものがあって、

そばにいてくれたのは、

たぶん、雪童子(ゆきわらす)のようなものだったと思う。

二匹の雪狼(ゆきおいの)みたいなのも、間違いなくいた。

赤砂糖とザラメが、より赤味を増して混じり合う時、

雪狼のベロベロ真っ赤な舌のようにも見えていた。

夢の最後の方は、なんとなく現実世界に近づいていて、

赤色の小さな毛布ではなく、

自分がキャンプ用の緑色の寝袋にくるまっていることに気づいているが、

私は、そのペラペラの寝袋でも十分温かく感じていて、

全てに満足した状態で目が覚めた。

「水仙月」は、宮澤賢治が創作した月であり、

12月から4月まで諸説あるが、

小学生の時にこの童話と出会った私は、

強烈な吹雪の描写などから、勝手に2月だと思い込んでいる。

たから、毎年2月4日になると、体がこの童話の世界を思い出すのだと思う。