今日は4週間に一度のアイヌ語勉強会の日。
今回、私が持ち込んだテーマは、
挨拶と自己紹介と感謝の言葉の話。
私は山に入る時、山の精霊たちに挨拶をする。
さらに自己紹介をし、
快く迎え入れてくれたら、感謝の気持ちを言葉にする。
挨拶、自己紹介、感謝の言葉がセットになっている。
アイヌ語は北海道土着の言語であり、
特に山に入る時にはアイヌ語がしっくり馴染むような気がしている。
☆挨拶
私は山に入る時にまず挨拶をする。
山には無数の精霊たちがいる、と私は思っている。
精霊たちに断りもせず、ズカズカと山に入り込む気には、私はなれない。
少しでも山の空気に逆らうように感じる時は、私は山に入らない。
イランカラプテ。
私はこの言葉を繰り返し呟き、周りの空気をたしかめながら、ゆっくりと山に入る。
イランカラプテ(イ=それ、ラン=心、カラプ=触れる、テ=~させる)はアイヌ語で、挨拶の言葉。
直訳すると、
「その(あなたの)心に(そっと)触れさせて(いただく)」
この言葉を繰り返し呟くと、
近い場所にいる精霊たちから順番に、私を快く迎え入れてくれる。
いつもいつも受け入れてもらえるわけではない。
時には拒絶されることもある。
その時にはそれなりの理由がある。
だが、よほどの理由がない限り、精霊たちは私を受け入れてくれる。
私はその場の空気に溶け込んでいく。
☆自己紹介
「クレヘ アナクネ ユタカ ネ」
山に入ってそこに溶け込んだら、まず私は自らの名を名乗る。
クレヘ アナクネ ユタカ ネ(ク=私、レヘ=名前、アナクネ=~は、ユタカ=ゆたか、ネ=~である)、
直訳すると、「私の名前は、ゆたかです。」
名前を伝え終えると、
「おう、よくここまで来たな。」とか、「覚えている。前にも来たことがあるな。」とか、「今日は何しにここに来たのだ?」などと言われる。
だから私は、精霊たちに向かって山に来た理由を話す。
私は、普段忘れている感覚を一瞬でも取り戻すため山に入っている。
そのことを精霊たちに伝えると、だいたい喜んでもらえる。
精霊たちは、温かい光を放ちながらプチプチと賑やかに弾けだし私を歓迎してくれる。
私も嬉しくなる。
すると、少し離れた場所にいる精霊たちもあちこちでプチプチ弾けてくれる。
なんだか懐かしくてホッとした気持ちになり、
私もプチプチやってみる。
そうこうしていると、
コロコニ(フキ)やノヤ(ヨモギ)などの山の恵みをこの体に取り込みたいと思うことがある。
だから私は、
一つひとつのコロコニやノヤと話をして「食べていいよ。」と言ってくれたものを、採る。
☆感謝の言葉
イヤイライケレ。
私は感謝の言葉を繰り返し呟く。
イヤイライケレ(イ=それ、ヤイ=自分自身、ライケ=殺す、レ=~させる)は、
直訳すると、「それ(あなたのその行為)が私を殺す。」となる。
これだけ見ると穏やかではないが、
その本意は別のところにある。
「ライケ」は一般に「殺す」と訳されるが、
おそらく、「役割や出番の一部が必要なくなる。」という意味が含まれており、
イヤイライケレは、
「恐縮する。」や「感謝する。」のように解釈することができる。
私は、コロコニやノヤを持ち帰り、ありがたくいただく。
北海道に生まれ、育まれてきた精神は、今もこの大地に息づいている。
自然から切り離され、現代に生きる私たちであっても、
一万年続いてきた縄文の遺伝子が、今も私たちの体に息づいている。
その気になれば、
この大地に立てば、いつでも思い出すことができる。
先人から引き継がれてきたものを昔話にしてしまってはいけない。
今のような時代だからこそ意味があり、私たちに力をもたらしてくれる。
アイヌ民族は本当に自然と共に生きたのでしょう。自然はそれだけで神に思える。今科学技術の世界に生きて、自然をみんな忘れ、思い上がりの中に居るように思う。
時に厳しいものを突きつけてきますが、それも含めて自然はいつも私たちを優しく受けとめてくれていると思っています。
現代に生きる私たちはそのことを忘れがちですが、すぐに思い出すこともできる。人間は元々自然から生まれてきたのだし、自然そのものであるとも言えます。勘違いすることもありますが、いずれ戻るべき場所に戻っていくのでしょうね(^^)
その通りだと思います。自然の世界は素晴らしく、心を易しく包んでくれると思います。
ジブリの『もののけ姫』を連想させます。
私も山の精霊に挨拶したい。こういう感じを体感してみたいです。
山奥まで行かなくても、その気になればどこでも感じ取ることができると思います(^^)