高校2年の秋、修学旅行から帰ってきてから数日間、微熱が続いたことがあった。

「知恵熱なんじゃない?」

などと周囲から言われ、最初はなんのことかわからなく何かで調べた記憶がある。

知恵熱とは本来、

生後半年くらいの乳幼児が外部からのさまざまな刺激を受けて体温が上昇することを指す。

当時の私は乳幼児ではないが、

修学旅行で生まれて初めてのものを見聞きし、ささやかではあるが非日常的な体験を味わっていた。

そこで受けてきた刺激に体が反応しているのだろうと、そう理解した記憶がある。

今、私は当時のことを思い出している。

実は今、なんとなく体が熱っている。

たぶん軽い風邪だと思うが、

同時に、これまで全身で受けとめてきた外部からの刺激を自分の中で消化しようとしている感覚があり、

それにより微妙に発熱しているような気がするのだ。

人は常に外部からの刺激を受けながら生きている。

それが、何かの拍子で、内部で化学反応を起こすこともある。

知恵熱はいつでも誰にでも起こりうる。

おそらく、刺激を消化できそうな時だけ熱が上がる。

外部からの刺激を受けとめるばかりの時は体温は上がらない、と思う。

一般的な生体反応の発熱の原因としてもっとも多いのは、ウイルスや細菌の感染による発熱であると言われている。

ウイルスや細菌が体内に侵入すると、体は免疫力を使って退治しようとする。

その免疫力を高めるために平熱よりも高い温度が必要となり、体温調節中枢の指令によって体温が上昇するシステム。

この時、侵入者と戦えるだけの免疫力がなければ、おそらく体温は上がらない。

だから、消化しきれない刺激を一方的に受け続ける状況に陥ってしまうこともある、、

ような気がしている。

すべてではないが、少なくとも、私の中にそうしたところがあるのは間違いない。

何十年もの間、消化されるでもなく、違和感を覚えながら体内を巡り続けているものに翻弄されそうになりながらも、

ギリギリのところで踏み留まり、

どこかで力を得て、少しずつ異物を消化していくようなところが私にはある。

今もそんな感じがするのだ。

たぶん、免疫力はいくつになってもパワーアップできる。

これまで遅れていた分を取り戻し、

思うように動かせないでいたこの心と体を使いこなしたい。

そんな風に思っている。