差別とは何か。

私自身も行政機関で長く福祉を担当してきたので、差別については様々な角度から考えてきた。

まず指摘したいのは、

差別の定義そのものが社会的に定まっていないということ。

例えば、「障害者」という言葉が「障がい者」と書き換えられて使われるのが一般的になっているが、

「害」だけでなく、「障」の字も差別的だと考える人も少なくない。

だが「しょうがい者」にしたところで、「しょうがい」という音自体が差別的だと考える人もいる。

こうしたやりとりを黙って見ていると、言葉の使い方のどこに境界線を引くかに意識の大半が向けられてしまっており、

無意識のうちに、障害者そのものを差別の対象として見ている人がものすごく多いことに気づく。

こちらとしては、言葉の使い方はともかく、障害者が不当に差別されることのないように配慮したいと考えているのだが、その発想自体がなかなか理解されない。

差別用語を使わないことが差別しないことだと思いこんでしまっている人がものすごく多い。

差別用語が過剰に意識されることにより、かえって実質的な差別が固定化されているという事態に歯痒さを感じている。

例えば、精神疾患にも細かい分類がある。

統合失調症、うつ病、気分変調症、双極性障害、パニック障害、全般性不安障害、強迫性障害、アルコール乱用・依存などが挙げられるが、

これらの呼び名を差別的だと考える人は、他の表現方法を探すことに一生懸命になっている。

そこに集中するあまり、患者そのものへの差別を解消しようという発想に至らないことが多い。

だが、それらの呼び名はあくまで分類であり、元々そこには差別は存在しない。

ADHD(注意欠陥多動性障害)、アスペルガー症候群(自閉スペクトラム症)、サイコパス(反社会性人格障害)なども同じだ。

私としても、これらの言葉には差別的な意味合いはないという前提で使っているのだが、

これらの言葉に差別的なイメージを持つ人も少なくないため、誤解される可能性がある。

だが、私としては言葉の使い方を変えるつもりはない。

ここを変えてしまうと、過剰な意識の強化につながり、結果として差別と誤解を助長することになるからだ。

私が子どもの頃には、かたわ、つんぼ、めくら、などといった言葉が普通に飛び交っていた。

今ではこうした言葉を聞くことはなくなったが、それで差別が解消されているわけではない。

むしろ言葉遣いにこだわり過ぎたせいで、差別問題の本質から逸れてしまっていると思っている。

一般には「正常と異常」という区分概念が存在しているが、

私自身は、全て個性であり異常は存在しないと考えている。

ADHD、アスペルガー症候群、サイコパスといった言葉も、私自身に差別意識がないからこそ使っているのだが、

無自覚的な差別意識にとらわれている人から見ると、これらの言葉を使う者が差別主義者ということになるのだろう。

実にややこしいことになっている。

思考停止の言葉狩り、文化破壊が目立つ。

このままでは、差別が固定化され、個性を表現する方法がなくなってしまう。

そもそも私自身は他者を蔑視する発想を持ちあわせていない。

ありとあらゆる全ての縁に感謝し、リスペクトしていることが前提になっている。

いちいち言い訳するつもりもないが、簡単に解ける誤解は解いておいた方がいいと思っている。