私は中学一年の時に吉川英治の三国志を読んだ。
ちょうどその頃、NHKのテレビ人形劇をやっていて、友人たちとどハマリしていたのがきっかけになっていた。
吉川英治の三国志は中学生には少し難しめの描写が多く、必ずしも理解は十分ではなかったかもしれないが、
難解であればあるほど、想像力が掻き立てられ、貪るようにしてたくさんのことを吸収しようとしていたような気がする。
だが、関羽が死んだ辺りから私の中でたぎるような熱狂が冷めていったのも覚えている。
当時中学生の私は、いずれ劣らぬ豪傑同士の一騎打ちに胸を踊らせていた。
関羽、張飛、呂布、華雄、顔良、文醜、趙雲、甘寧、張遼、徐晃、馬超、許猪、黄忠等々。
その中でも、虎牢関で華雄、官渡で文醜と顔良を一刀のもとに斬り落とし、麻酔無しで毒矢を抜く切開手術を受けたと言われる関羽は特別な存在である。
無敵を誇っていたはずのあの関羽が、一騎打ちではなく、敵の謀略によって捕らえられ、そのまま首を取られてしまう。
吉川英治の三国志は前半の腕力勝負の個人戦から、徐々に大局的な政治戦に移行していく。
関羽の死は、それを宣言するものであったように思う。
奢り高ぶるものはいずれ滅びる。
何者かによって滅ぼされるのではなく、関羽だけでなく張飛も同じように自滅していった。
この流れは諸葛亮孔明が登場する辺りから薄々予感していた。
孔明が張り巡らす様々な謀略の中で、関羽や張飛が躍動する場面は、時間の経過とともに回数も規模も小さくなっていく。
どんな豪傑でも年を取る。
年とともに、関羽と張飛にも経験に裏打ちされた智略と人としての厚みが備わるものと思っていたが、
関羽と張飛の場合は、
時代の変化を直視せず、過去の栄光にしがみつき、己の衰えを認めることもなく、傲慢さばかりが目についていく。
私は孔明がどのようにして関羽と張飛の力を引き出そうとするのか注目していたのだが、
その意味で孔明に失望していた。
私は孔明に重用されていく姜維が好きだった。
三国志の登場人物の中で、一番自己投影しやすかったのが姜維だった。
だが、姜維を重用するに当たっては関羽張飛の扱いに手を焼いた孔明の一種反動的な心理が働いていたようにも思っている。
私は、姜維の立場から関羽と張飛の復権を望んでいた。
孔明をさりげなく刺激して、関羽と張飛の活躍の場を作りたいと思っていた。
孔明は、最初から関羽張飛とやっていくつもりがなかったと思っている。
その意味で私は、孔明に人間的な魅力をあまり感じていない。
諸葛亮孔明と言えば、稀代の智略家、善政を敷いた政治家としての評価が鉄板となっているが、
吉川英治の三国志を読んだ私の感想としては、
馬が合わない人物をさりげなく遠ざけ、自らを正当化することを優先する人物のように感じるところがある。
それで理想的な最終目的が達成されるならまだいいのだが、
孔明が劉備に説いた天下三分の計は、
構想していた理想的な流れを作ることができず、結果として膠着状態を招いただけではなかったか。
どこに孔明の誤算があったかわからないが、
私はこの膠着は誤算ではなく、孔明の計算どおりだったのではないかと思っている。
劉備の天下取りを本気で考えていたなら、赤壁の戦いの後、一気に中原に進出していたのではないか。
ただ、それではリスクがあるので、
西の片田舎でひとまず落ち着いてしまう。
そして、そこで長い時間をかけて事実上の支配者として君臨し続ける。
元々これが孔明の目的だったのではないかと思っている。
平均以上の智略はあるが、小さいと感じてしまう。
三国志の主流が政治戦に移行してからは、
私の興味関心は、孔明の下でうまく立ち回る姜維と、呉の陸遜、魏の司馬懿へと移っていった。
この三人が台頭してくるにしたがい、あの曹操さえも私の中では過去の人となっていった。
私は、司馬懿仲達が一番凄いと思っている。
究極の猫かぶり。
仲達には孔明よりも遥かに壮大でぶれない目標があり、
そのために今どうすべきなのか、その結果どのような未来がやってくるのかが自然と見えていたように思う。
事実、彼は西晋の礎を築き、後漢政治の腐敗から始まった長い混乱を収めるという大業を成し遂げた。
私が読んだのは吉川英治の三国志であり、正史ではない。
司馬懿仲達の歴史的な評価は別物であると考えているが、
私は、孔明よりも仲達が好きである。