小学の頃からの友人の実家に行ってきた。「なおや」のお父さんとお母さんに会ったのは、だいたい30年ぶり。

几帳面なお父さんは88歳になるが、相変わらず庭の手入れを完璧にこなしていて、

お喋りなお母さんも、90歳になった今もまったく変わらず機関銃のように喋りまくっている。

毎日のように遊びに行った家も庭も何もかもがそのままだった。

とにかく懐かしくて、嬉しくて、タイムスリップして、当時の思い出を語り合った。

40数年前のこの辺は、札幌にほど近い新興住宅地。昭和50年くらいから建売住宅の建設が急ピッチで進み、若い家族が続々と入居していた。

なおやは私の同級生で、小学3年の春にここに引っ越してきた。

当時のことは今でもよく覚えている。

ある晴れた日の朝、少し緊張気味のなおやが私の家にやってきた。いつものメンバーの隆二と内藤。そこになおやが加わり、私たち4人で一緒に学校に向かった。

詳しい事情はよく知らなかったのだが、こうして一緒に学校に行く何日も前から、私たちはなおやのことを知っていた。

既に近所の公園で馴染みの野球仲間になっていた。

なおやのお母さんからさっき聞いたのだが、ここに引っ越してきたばかりの時、なんだかんだと忙しくて、なおやの転校の手続きを後回しにしていたらしい。

普通は引っ越してきたらすぐに学校に行くものだが、なおやは一週間くらい学校に行かず、この界隈で自由気ままに遊びまくっていたのだ。

見るにみかねた学校から先生がやってきて、お母さんはずいぶんと怒られたらしい。

家が近かった私は、なおやが引っ越してきたその日のうちに仲良くなっていた。

なおやは、とにかく穏やかで優しく、心も体もトトロのようなやつというのが第一印象。

よく喋る肝っ玉母さんと、実直だがユーモアに溢れるお父さんが醸し出す、なんとも言えない包容力。仲間たちみんながなおや家族のことを大好きだった。

雨が降って公園で遊べない時などはみんなでなおやの家に上がり込んでギャースカ騒ぎまくった。

毎日暗くなるまで、いつもの仲間たちと一緒に、真っ黒になってそこらじゅうを縦横無尽に遊びまくった。

高校からは別の学校になったが、お互いになんとなく居心地がよく、気がついたら一緒にいることが多かった。

私が東京の大学に行ってからも、帰省するたびに愛車のISUZUビッグホーンでうちまで迎えに来てくれた。

特にあてもなく、喋ることもたいしてないのだが、いつも二人でなんとなく、夜の札幌や小樽を走り回っていた。

それから互いに就職し、結婚し、忙しくなって、普段連絡を取り合うこともなくなっていた。

2020年3月末、

新聞のお悔やみ欄に、なおやの名前を見つけた。

特にこれと言って、なおやと話したいことがあるわけでもないし、もう会えないのだが、

またなんとなく、なおやのそばに居たいなと思った。

今でさえ、その気になればいつでも、スルッと会えるような気がしている。

気がつけば、もう20年以上なおやと会っていない。

もう会えないというのが、まだピンとこない。何故かそんなに寂しくない。

なおやはポヤ~っとしてるので失敗も少なくないけど、平和主義者だし、怠けるのも上手いし、楽して遊ぶことも上手だから、楽しい人生だったに違いない。

詳しいことは知らないけど、もう十分やるべきことをやってきたんだと思う。

私もいずれは死ぬ。私は私でなすべきことをするだけだ。

なおやとは20年以上会ってないが、なおやが近所に引っ越してきて、初めて会ったあの瞬間から、ずっと一緒にいるんだと思う。

なおやの必殺大根切り打法で、何度も試合(草野球)の流れが変わった。

独特の鼻を触る仕草も、あののんびりした話し方も、私の脳裏に焼きついているというか、いつもリアルにそばにいる。

「なおや、なんか知らんけど悪くないね。」