私は他人にそれほど関心がない。
基本的に自分のことに忙しく、
他の人のことは、わりとどうでもいいのだ。
もちろんいただいたご縁には感謝しており、すべての魂の幸せを祈っている。
「何かしら役に立てたら。」と思うし、
そこに多くの労力と時間をなげうつことも少なくない。
だが、自分を犠牲にすることは、絶対にない。
私が誰かのために動いているように見えるとしても、
それは、私自身のためになると思うからしているのであって、奉仕(無私)の精神でしているのではない。
自分のことを信頼してくれていると感じていれば、そこで力を尽くしてみたいと思う。
信頼してくれているのでなければ、自ずと距離ができる。
どこに基準があるかと言うと、
自分にとって学びがあるか、ないか。
信頼されている場所では、自分にとって常に新しい刺激があるが、
信頼されていない場所では、新鮮味のないルーティンが横たわっているだけで、そこに居続けても、何をしてもしなくてもほとんど得るものがない。
ならば、私はより刺激的な場所に移動する。
それだけのことである。
何があろうとなかろうと、
縁のあった人への感謝とリスペクトは不変。
その恩に応えるためには、常に自分らしくあり続けなければいけない。
だから距離ができているとしたら、
それはお互いのために発展的で喜ばしいことだと思っている。
いつまでも成長できない場所に居続けることは、受けてきた恩に背くことであり、
ある程度長い時間を生きてくると、
私の場合は、
自己の成長は、自分より若い人たちの夢と希望を育てることと同義になっていくような気がしているが、
そうした人は、思っているほど多くないのかもしれない。
私自身がもう少し力をつけることができたら、
見えてくる景色も変わるだろうか。
互いに成長し合える関係を増やしていきたい。
人それぞれ形が違うのに「わかります!」と安易に言ってはいけないと思いますが、とても理解できます。そして自分もyutakanaonakaさんに近い、こういう考え方や姿勢を持っていると思います。
ボランティア活動は「相手に喜んでもらえる、自分が楽しく新しい発見ができる」が前提です。自分が楽しまないと相手は楽しめませんし。
私が健康で仕事したり趣味を満喫する行動や勉強したりすることで、若者が「ああいう40代になりたい」と思ってくれることも一つの目標です。
(メインは、自分が自分に飽き飽きとしないためです笑)
ちょっと前にブログに投稿しましたが、最近の「新しいこと」の流行はアメフトではまっていて、長女の大学が勝ち進んでいるので、初回からずっと応援へ行っています笑 毎回違う人を誘って応援に行くのも、きっと若者の成長を後押ししているのでは?と思って。(でも、私が一番元気をもらっています笑)
ありがとうございます!
自分は何をしたいのか、何をすべきなのかを考えずにはいられないですね。
私の場合、若い人たちのために活力となるようなものを残したいみたいです。
Coccocanさんと同じで、背中で何かを伝えられたらって思います。
久し振りに、お会いするようです。よろしく。
ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いいたします(^。^)