私は他人にそれほど関心がない。

基本的に自分のことに忙しく、

他の人のことは、わりとどうでもいいのだ。

もちろんいただいたご縁には感謝しており、すべての魂の幸せを祈っている。

「何かしら役に立てたら。」と思うし、

そこに多くの労力と時間をなげうつことも少なくない。

だが、自分を犠牲にすることは、絶対にない。

私が誰かのために動いているように見えるとしても、

それは、私自身のためになると思うからしているのであって、奉仕(無私)の精神でしているのではない。

自分のことを信頼してくれていると感じていれば、そこで力を尽くしてみたいと思う。

信頼してくれているのでなければ、自ずと距離ができる。

どこに基準があるかと言うと、

自分にとって学びがあるか、ないか。

信頼されている場所では、自分にとって常に新しい刺激があるが、

信頼されていない場所では、新鮮味のないルーティンが横たわっているだけで、そこに居続けても、何をしてもしなくてもほとんど得るものがない。

ならば、私はより刺激的な場所に移動する。

それだけのことである。

何があろうとなかろうと、

縁のあった人への感謝とリスペクトは不変。

その恩に応えるためには、常に自分らしくあり続けなければいけない。

だから距離ができているとしたら、

それはお互いのために発展的で喜ばしいことだと思っている。

いつまでも成長できない場所に居続けることは、受けてきた恩に背くことであり、

ある程度長い時間を生きてくると、

私の場合は、

自己の成長は、自分より若い人たちの夢と希望を育てることと同義になっていくような気がしているが、

そうした人は、思っているほど多くないのかもしれない。

私自身がもう少し力をつけることができたら、

見えてくる景色も変わるだろうか。

互いに成長し合える関係を増やしていきたい。