「自分の命、時間は永遠に続く。」

幼い頃の私は、そんな風に思っていたような気がするが、

身近な人が亡くなることで人の命の儚さを知り、
50歳も過ぎてくると、自分自身の命、時間をどう使うかが大きな課題になってくる。

当たり前のことだが、人としての命、時間は限られている。

時間をどう使うかは個人の自由だが、現実には自由な時間はけして多くない。

今の時代を生きていくためにはお金が必要で、多くの場合、お金を得るために働かなければならない。

いくら働いてもいいのだが、
必要に迫られて働いてばかりいたら、自分の時間がなくなってしまう。

仕事以外は何もできないというのでは困る。
なんのために生きているのかわからなくなってしまう。

お金に縛られない生き方が求められる。
経済的自由を獲得するためにどうしたらよいか。

収入を得るためには労働し続けるしかないと思われがちだが、


実は、労働以外にも稼ぐ方法は色々とある。

怪しげに聞こえるかもしれないが、詐欺や博打ではない。

お金に働いてもらうのだ。
お金に働いてもらうことは特別なことではないのだが、
今の日本では邪道扱いされがちである。

個人の知力、体力、多くの時間を投下することによって産み出されてきたお金は、


成長分野や事業に投下することによって、初めて生き生きと躍動する。


お金は銀行やタンスに寝かせておくものではない。

お金の循環はごく自然なこと。
労働力と同じで、人の思いやエネルギーが一時的に形を変えたもの。
不自然に循環が止まればその価値を失い、やがて死んでしまうのだ。

お金が社会に循環し、機能的に働くようになれば、
閉塞感に包まれた国内の経済は、間違いなく、今より活性化する。

身の周りのお金が生き生きしてくると自ずと家計も潤う。
お金を味方につけることによって、
時間を切り売りする働き方に頼らずとも生きていくことが可能になる。

経済的に自由になると、時間を自分自身の手に取り戻すことができる。

ずっと働き続けるつもりでいても、
ある日突然、怪我や病気で働けなくなるかもしれない。

人生100年時代が叫ばれる中、
これからは労働収入だけでなく、お金にも働いてもらう必要があるのだ。

私たちはもっとお金のことを知らねばならない。
真摯に学び、向き合い、互いに豊かな人生を送るため正しく使いたいと思う。