なんとなく気分がすっきりせず、仕事が停滞することがある。

最近の私もそうだ。

当たり前のことだが、時間労働をしていれば時間を自由に使えない。

そのもどかしさから、心身のバランスが少し崩れている。

悪いことだとは思っていない。

現代社会に生きていれば、こうした思いを味わうのも自然なことだ。

問題は現状をどう受けとめ、どんな未来に繋げていくか。

その時にできることをひとつひとつこなしていく。

本来は大事なことを先送りせず、すぐに本丸に切り込むべきだと思うのだが、

どうしてもできない時もある。

できない時に自分を責めても生産的ではない。

できない時にはできない理由がある。

理由にも向き合うことを心がけている。

理由に逃げ込むのではなく、

客観的に理由と向き合う。

思考や行動を阻害している「何か」を見つめ、

その「何か」の前に完全に立ち尽くすのではなく、

小さな歩みを重ねることにより、

自分自身の立ち位置や見える景色を変えていく。

「何か」と自分自身との関係性の変化を受けとめていく。

そうしているうちに、目指すべき道がぼんやりと見えてきたりする。

人間としての時間は無限ではないので、

可能性と同時に限界も感じているが、それもまた楽しい。

ここのところたくさんのことを先送りしてきたが、

いつまでも避けて通れるものでもない。

なんとなくチャンスが近づいている気がするので、

いずれ、「斬り込んでいくのだ」という直感がある。

こう書くと勇ましく映るかもしれないが、

一か八かの勝負とか、こちらから唐突な何かを仕掛けるとか、そんなのとは違う。

自分なりに道筋が見えていて、

時が来たら流れに乗る。それだけのことである。

野球のホームスチールと似ている。

私は長く野球をしてきたが、

ホームスチールを試みたことがない。

「行けそう」だと思ったことは何度かあったが、

私は留まっていた。

今は景色が少し違って見えている。

そこに吸い込まれていくような感覚。

おそらく、その結果しだいで未来が変わるだろう。

もちろん結果にこだわっていくのだが、

結果はあまり気にしていない。

結果がどうあれ、

私はまた出塁して、進塁して、ホームを目指す。

その繰り返しを楽しんでいくのだ。

1点を取りに行く過程からたくさんの経験ができる。

野手の間を抜く打球を放ったり、一振りで勝負を決めにいくこともあれば、

しぶとく四球を選んだり、相手守備の間隙を突き次の塁を奪いにいくこともある。

どの経験も同じではない。

経験は引き出しを増やし、より深まり楽しくなる。