今日で今年も終わり。激動の2020年を振り返っている。

2020年3月、私は27年勤めてきた地方公務員を早期退職した。

根っこには、ちょっと挑戦してみようという気持ちがある。

どんな挑戦かと言うと、

「世間の常識に流されず、自分自身の生き方を貫く。」ということである。

どこでも聞くありふれた理由だが、

50歳くらいで公務員を早期退職する人はそう多くはない。

現職の公務員の中には、

公務員としての身分に縛られた日々の生活に疲れ、すぐにでも人生を変えたいと思っている人もけっこういる。

だが、

「十分な見通しもなく公務員を辞めたら、その後は厳しい現実が待っている。」

などと聞かされると、なかなか踏み切れない人がほとんどである。

退職後に成功するための秘訣や道筋については、

「十分な資産を形成してから」とか、「いくつかの収入口に目途をつけてから」とか、

しごくもっともな意見が目立つ。

だが、公務員として働きながらそれができるかと言えば、現実には難しいと私は思う。

今の世間の常識は、

「前もって準備ができないのなら、早期退職などするべきではない。」ということなのだが、

本当にそうなのだろうか。

私の挑戦はここのところ、この常識への挑戦であるとも言える。

人知れず人生を変えることに成功している人は意外といる。

今の私は説得力のある根拠も実績も持ち合わせていないが、

50歳以降のこれからの人生を、自分に素直に生きることに決めた。

一大決心をした感覚はなく、決まる時にはあっけなく決まった。

不思議に思うことがある。

本来、人生に与えられた時間は全て自分のものである。その時間を自由に使うのは当たり前のはずである。

現代社会の現実はそのような甘いものではないと思い込まされているが、本当にそうだろうか。

たしかに、

在職中に老後の資産を形成することなど、3人の子どもと住宅ローンを抱えている私にはとうてい無理であった。

複数の収入口を作ると言っても、公務員には副業が禁止されている。

すぐに思いつくのは株式投資くらいだが、それとて、ある程度まとまった資金がなければ十分な資産を形成するまでには長い年数がかかってしまう。

だから今の常識に照らせば、私には早期退職をする選択肢は無いということになる。

では私はなんのために生きているのか。

「家族の生活を守る。その責任をまっとうする。」

これだけで十分と思うところもなくはない。

だが、公務員であるということだけで家族の生活を守れるものでもない。

家族は常に私の生き様を見ている。

私が、自分自身に素直に生きているか、いないのか。

私の家族は、

私が何かの犠牲になるような生き方を選ぶことを許さないだろう。

私が大切な家族のために心掛けているのは、自分に忠実に生きることだ。

何よりもまず、そこが起点になる。

私は公務員を早期退職することに迷いは無かった。

公務員を辞めて良かったと思っているし、この気持ちが変わることもない。

聞こえてくるのは一部の成功者の話ばかりである。

だが、ひっそりと自分自身の人生を取り戻している人もいる。

黙々と己の道を歩んでいる人がいる。

私は、

日頃思っていることを書いたり話したりしたいと思い続けてきた。

だからこれからは臆せずに書き、話す。

上手いから書いたり話したりするのではない。

そのことを行動で示したい。

恥ずかしいとか、専門家じゃないから大人しくしているべきだとか、

そういう、窒息しそうな権威主義的な世の中の空気を、身近なところから変えていきたい。

挑戦と言っているが、どこかに無理を感じながらやっているわけではない。

これはたぶん、今の私の役割なのだと思っている。

自分自身の生き方をまっとうするのは本来当たり前のことである。

だから、どんなに現実が厳しいものだとしても、

現実の前に簡単に屈してしまうのではなく、本来当たり前のことを自然体で手繰り寄せていきたい。

そのためには、現実社会との過大な摩擦や対決するような感覚は邪魔なのだ。

来年も愛車DRで好きな時に好きな場所へ行く。

公務員のこと、児童虐待のこと、先住民族の人権のこと、労働のこと、お金のこと、歴史、哲学等々、思いつくあらゆることについて、

日々の身近な出来事を通じて、正直な思いを書き、話していく。

経済的自由を手に入れるために学び、自分自身や未来に投資をしていく。

こうした生き方を、これからの私はリアルタイムで発信していく。

2021年は、今まで以上にその思いの強いものとなりそうである。