昨日、友人の一人から八つ当たりされた話をブログにしたが、

一夜明けて、あらためて読み直してみた。

朝の整理された頭に、第三者的な視点からスラスラと私の書いた文が染み込んでいく。

書いたとおりだが、私が書いたのだからやはり私目線のブログである。

例の友人がもし目にしたら、納得のいかないところもあるかもしれない。

同じ出来事でも人によって感じ方はそれぞれである。

どれが正しいというものでもなく、良いも悪いもない。

頭の中にあるものを完全にバランスよく適切に表現することは、おそらく不可能であり、

それにより誤解を受ける可能性をも引き受けなければならない。

だから、書いたり話したりすることは、その意味で面倒でもあるのだ、

だが、その中でも、書こうと思う時がある。

私としても思いつく限りのすべての可能性に配慮し、

自分だけでなく、他の人の視点でも考える。
そして、今この瞬間と未来につながると思われる、

ベストとまで言えなくても、よりベターと思われる流れを選択する。

それでも、考えたとおりに物事が運ぶことはほぼなく、

そのたびに複雑な感情が湧き上がる。

感情をコントロールすることは難しい。

完璧にコントロールできているつもりでも、いつの間にか自分に都合のよい解釈をしていたりする。

そうしたことをも、朝のフレッシュな頭でチェックする。

昨日よりは、相手の立場になって考えることができている自分に気づく。

そして、その上でこれから何をどう考え、どう振る舞うべきなのか考えている。

悪くない。私はこうして成長していきたい。

振り返れば、私は恥ずかしいことをたくさんしてきた。

若い頃は感情に流されて行動してしまったことも少なくない。

だが、その都度、
未熟なりにも人としての痛みを感じ、考えて、少しずつ大人になってきたのもたしかである。

八つ当たりされたのは、私にも原因があるのだ。

私が悪かったとは思ってないが、だからと言って知人が悪いわけでもない。

私だけでなく、彼にも事情があるのだ。

人はそれぞれの事情の中で生きるしかない。
この世にはどうしてもかみ合わない組み合わせもある。

無理せず、離れられるなら離れたらいい。

ほとんどの場合、自然と距離が調節されるものだが、そうもいかないこともある。

互いに譲れないところで火花が散る。

だからいまだに戦争がなくならない。これも現実。

だが、人はあきらめない。
成長速度やベクトルはさまざまだが、あきらめる人はいないと思うのだ。

そこもしっかり考えたい。

今回の出来事は、その意味でも私にとって一つの試練なのだと思う。

と、いうわけで、
私はいまだに葛藤、苦しみの渦の中にいるが、

それらを全身で受けとめ、そこからどうすべきか考え、行動につなげることを楽しんでいることにも気づく。

生かされているのだと、感謝の気持ちが湧いてくる。

実は昨夜、友人の一人が私を励ましてくれた。

彼らしいなとも思ったが、
このタイミングで声をかけられるとは思っておらず、すごくびっくりした。

すごい観察眼と配慮、勇気だと思った。
彼は学生時代からの付き合いだが、こんな風に声を掛けられることは、学生の頃にも記憶がない。

未熟なりにも前に進もうとする私を励ましてくれているのだと解釈している。