私は毎朝だいたい4時半頃に目が覚める。

今朝もルーティンの一環で米国市場の動きをチェックしているが、

予想に反して大きく下落している。

けっこう大きめの下落だ。

昨日、今年最後のFOMCを通過したばかりで、

これから年末にかけては、

若干の上下動があるとしても割と安定的な上昇相場がくると思っていたので、今朝の下落幅はちょっと意外である。

だが、動揺はない。

私の中のどこをどう見ても、今朝の下落も不自然なストレスになっていない。

今朝の下落は予想外ではあるが、

まったく想定していなかったわけではない。

下落シナリオも元々私の中にあったし、その場合はどう考え、どうするのかも、わざわざ考え直したりしなくても、迷いなく準備ができている。

2年前だったら、これくらい大きく下がると「どうしたらいいのか?」と一瞬戸惑い、考え込むところがあったと思うが、

今はほとんどなんとも思わない。

今の私は、毎日欠かさず市場を観察する習慣が定着しており、

短期的な値動きは、それがどんなに大きなものでもたいした意味はないと、腹の底からそう思っている。

大幅下落に直面すると「大事な資金を溶かしてしまった。」と考える人も少なくないが、

私はそのようには感じない。

元来がそういうタイプであったので、投資向きの性格なのかもしれない。

歴史を振り返ってみても、下げた後には必ず取り戻してきたし、それ以上に大きく上がってきている。

そして実際に毎日相場に触れていると、細かいことはともかくとして、下がりっぱなしになることはないという、確信のようなものが体の中にあることに気づく。

これは過信なのかもしれないが、

少なくとも今の私は、過信ではないと思っている。

厳密に言うと、株価が果てしなく下がりっぱなしになる可能性も自分の中に折り込んでいて、

その場合は株価だけが下がるのではなく、現金預金や金、原油、穀物、サービスなど他の資産価値も変動するはずなので、

そこへの心の準備さえそこそこあれば、

いつどんな変化が起きようとも、たいしたことはないと思っている。

私は、市場に居続けることさえできればいいと思っているので、

今の自分が想定できる、あらゆるシナリオに備えることができてさえいれば、

それだけでとにかく安心なのだ。

そうは言っても、私など投資家としてはまだヒヨッコであり、思わぬ落とし穴があるかもしれない。

まったく想定外の事態に直面して酷い目に遭うかもしれないが、

たとえそうなったとしても、ゼロからでもマイナスからでも普通にやり直せるような気がしている。

こうした、根っこのところにポジティブな気持ちを見つけることができているのも、

毎日、市場を眺めているからだと思っている。

これから想定外のどんなに酷いことがあるとしても、私なりに常に周囲を見ている。

自分の目で見て、心と体で感じ、自然な反応ができているのであれば、

何も怖いものはない。

株価がどんなに激しく上がろうが下がろうが、

その中で感じたまま、すべて受けとめて、自分らしく楽しくやっていくだけのことである。

元気に自分らしく、そこに居続けるだけでよい。

そして、心や体、時にはお金を投じて、

身近なところから、地域社会をよりよくしていきたいと思っている。