2023年度税制改正大綱にNISAの拡充が盛り込まれた。

合言葉は「貯蓄から投資へ」。

背景として、
労働収入だけでは一般的な世帯でも生活にゆとりが持てないことがある。

人はそれぞれの人生をまっとうするために生まれてきたのであり、労働するために生まれてきたわけではない。

労働には尊い一面があるが、
必要に迫られるようにして人生の大半を労働で埋め尽くされてしまったり、
結果的に過労で倒れてしまっては本末転倒である。

35年前の日本ならいざ知らず、
少なくともこれからは労働収入だけでは生きていけない。これが現実である。

では、どうしたらよいのか。

フランスの経済学者ピケティの有名な不等式、「r>g」。

資産 (資本) によって得られる富、つまり資産運用により得られる富は、労働によって得られる富より大きい。

このことは机上の空論などではなく、いまや誰もが実感している。

例えば、戦後間もない頃のインフラの再構築が必要な状況では、労働の価値が高くなるが、

現代のようにインフラが整備されている時には、労働の価値は相対的に目減りしていく。

科学技術が進歩し、便利な道具や整備されたシステムが社会に行き渡れば、今まで人間の手でやっていたことはしだいに必要がなくなる。これは至極当然のことだ。

どんなに働く気満々でも今までと同じように働く場所があるとは限らないし、働けたとしても、それだけで十分な収入を得ることは難しい。

生活を守るために、労働に加えて、投資が「必要」になっているのだ。

また、国としても、滞留している個人資産の一部を市場に流入させることにより、先細りが懸念される国内経済を持続性のあるものに活性、進化させる「必要」がある。

こうした背景があってのNISA拡充案。

個人的な好き嫌いは別として、

現代は、国レベルでも、個人レベルでも、経済活動により産み出した資産を、運用により大きくすることを「必要」としている。

投資をする、しないは、最後は個人の自由であるが、
私は、今のような時代では投資をしないという選択肢は事実上ないと思っている。

お金は、流れの中でこそ価値を生む。

滞留させてしまうとしだいに朽ち、最後には死ぬ。
この性質を正しく知っていれば、個人的にお金を溜めこむことなどしないはずだ。

お金が使われなければ、商品を作っても店を出しても商売にならない。商品を作らなくなるし、店もやめてしまう。
そうなってしまえば、そこでいくらお金を持っていてもなんの価値もないのだ。

投資の本質、目的は博奕や金儲けなどではない。
社会参加、社会貢献以外の何物でもない。

投資とは、
社会に有益と思われる事業体に文字どおり資本を差し出し、
資本を差し出すことにより、目指すべきよりよい社会に近づけていく行為である。

今の日本のように、若い頃と同じようには働けない中高年が増えた社会には、
投資により社会が変わる可能性が秘められている。

こうしたことに、日本社会はもっと自覚的であるべきだ。

このことは、個々がそれぞれの人生をまっとうするということにも繋がる。

人は、世のため人のために働いたり、知恵を絞ったり、資金を差し出したりする。
年老いて若い頃のようには働けなくとも、
投資することによって社会貢献することも可能なのだ。
この視点は、目標を見失いかけていた中高年の生きがいにもなる。

長らく物価上昇や税金、社会保障費の負担に比して賃金の伸びが著しく抑えられてきたが、
来春は久しぶりに大幅な賃上げが実現される見通しである。

少しでも家計に余裕が生まれ、NISAによりその一部が市場に流入するようになれば、
閉塞感に包まれた日本経済のムードが変わっていく可能性がある。

拡充NISAは、誰もが簡単に安心して使えるよう設計されるはずであり、
たくさんの人が実際に投資を体感することによって、ムードが変わるはずだ。

金融リテラシーの低さがネックとなり沈滞していた日本社会が、目を覚ますきっかけになりうる。

投資により国内経済が回り始めれば、
固着していた産業や雇用の流動化も進み、中高年の学び直しなどにより社会全体が活き活きとしてくる。自ずと生産性も向上する。

これからの日本経済、楽しみしかない。