50を過ぎてからあちこちガタが目立つようになった。
普通に過ごしているだけでも、体にかかる負担、機能の劣化を自覚している。
「このままでは良くない。」と、頭で思っていても、
長年染みついた生活習慣を変えるのは難しい。
習慣は時間とともに自然と変わることもあるだろうが、
意志の力で変えるのはほとんど無理だと、私はそう思っている。
諦めているわけではない。
短期的に習慣を変えることは、私にもできるし、実際やったことも何度かある。
だが、どこかで反動がくるものだ。
我慢しながら習慣を変えようとすると、ほぼ例外なく揺り戻される。
あるいは別の箇所がいびつになる。
短期的に達成感を得ることができても、心身に蓄積したストレスをそのままにしておくことはできない。
ストレスエネルギーが解き放たれていく中で、
締めてきたネジが緩むようにして、生活習慣も巻き戻されてしまう。
巻き戻されてしまうのは、
意志が弱いからではない、と、私はそう思っている。
これ以上自分にダメ出しし続けても仕方がないから、このように思うようになったのかもしれない笑
とにかく、50を過ぎてくると、
これまでと同じように心と体にムチを入れようとは思わなくなる。
その代わりに、
我慢せずに、自然に習慣を変えていくことを考えたりする。
どういうことかと言うと、
だんだん若い頃と比べ、できなくなってくるものが増えている。
好きだった詰将棋を解く気力が下がり、
キャッチボールの距離が短くなる。
こうしたことが嫌なら、
少しでも機能の維持ができるように工夫したくなるものだ。
その気持ちが、生活習慣を少しずつ変えていく。
たぶん、これしかないのではないか。
飽食の時代と言われて久しいが、
私にとっても食欲のコントロールは難しい。
普段は粗食だが、食べたい時には好きなように食べる。
粗食の方が心身の調子がいいから粗食が日常になっていて、
美味しいものを楽しく食べたい時には、好きなだけ楽しみながら食べる。
心身ともにいつも満足。
こうした心持ちで過ごすことができていたら、
心と身体もしだいに最適化されていくはずだと、
そのように思う。

昨日は地元にあるジン鍋博物館のジンパに参加し、
なんと17種類のジンギスカンを堪能してきた。
とても楽しく、美味しく、
幸せいっぱい胸いっぱいなのだが、
どうやら食べ過ぎていたらしく、今朝は体が重い。
体が重いと、頭も働かない。
だが、こんな自分がダメだとは思っていない。
こんな風にグダグダになりたくないのなら、
これからは、その時の体の機能に見合った食べ方をすればよい。それだけのことだ。
と、何度思ってきたことか笑笑
どんなに食べても数時間後にはスッキリしている強い胃腸があれば最強、なのだが。
いつもありがとうございます😊
同世代としては、同感です。
最近は、この歳まで大きな病気もなく、仕事ができたりすることにも、自分の身体に感謝感謝です。
私も食欲は衰えないので、メタボで負担かけてごめんね。。と身体に言うことはあります。😆
でも美味しく楽しく食べられるって最高じゃないですか!
これからも、美味しく楽しく食べていきたいですね❗️
ありがとうございますー
そうなんですよね。美味しいと感じられることはとてもありがたいことで、あまり制限をかけずにいきたいです。
長く健康的に食べ続けたいものです(^。^)
同年代ですので、おっしゃっていることが実感として私にもあります。
わたしのモットー
心身の疲れはダラダラと過ごす。身体の疲れは、マッサージチェアって感じです。
ありがとうございます。
ダラダラすることも必要ですよね。自然体でいればいいことがあると思っています😃
こんにちは。私は還暦を過ぎていますが、犬を飼い始めたおかげで、自然と早寝早起きに変わりました。この年になると、流れに任せてみるということも自然にできるようになるのかなと、投稿を読ませていただき、そんなふうに思いました。
ありがとうございます。
年齢とともに力まなくても自然に最適化されていくような気もしますね!
ですが、今の私はこれからの健康にあまり自信を持てていないので、明らかな悪癖は意識していかないといけないと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。
17種類のジンギスカン!!! すごいですねぇー。北海道ならではの行事。
新陳代謝も体力も落ちているから、節制して対策をとらないといけないのは分からるのですが、「アレもダメ、これもダメ」「こうすれば健康にいい、ああすれば体力が上がる」なんてことだけやっていると、ストレスで病みそうです笑
そう、こういう日があってもいいし、何度でも反省すればいい!!と自分に言い訳しています笑
そうですね笑笑
我慢してたっていつ何が起きるかわかりません。節度を保ちつつも、基本は今を目一杯楽しむことだと思ってます(^。^)