うまくいかないことがあると、人は何かのせいにしたがる。

それぞれが自分勝手な都合で原因を特定し、それが諸悪の根源だと思い込む習性がある。

つくづくそう思う。

少し見方を変えて冷静に考えてみれば、

おそらく、この世の中にはいいことも悪いこともない。

それぞれの都合や惰性でいいとか、悪いとか感じているだけで、

客観的に考えれば、いいも悪いもないのだ。

極端なことを言えば、戦争だってそうだ。

殺し合いは不幸だ。だから望ましくないという気持ちはみんな同じ。

私も強く平和を願う。

だが、「誰々が悪いから戦争になった。」と考えるのはちょっと違うと思っている。

侵略者を肯定しようと言うのではない。

誰かを悪者にしたてても、何も良いことはないという意味で感心しないのだ。

誰かを悪者にしたてたら、悪者にされた側はだいたい反発する。

子どもでもわかることだ。

その結果として産み出されるものは、ほぼ例外なく対立の強化、長期化である。

一度こうなってしまうと、争いが収まっても、感情的なしこりは長く尾を引く。

こうしたことは枚挙にいとまがない。

分かりきったことなのに繰り返すのは何故か。どんな目的で繰り返しているのか。

これは、本当に仕方のないことなのか。

当事者はその結果として産み出される現実をどう考えるのか。

人にはそれぞれ事情がある。

私は、人の考えることは元々はたいして変わらないと思っている。

たまたま生まれた育った環境や、生まれ持った肉体の特性、その時の立場などに「支配」されているだけで、

根っこの違いはほとんどないと思っている。

しかし、現実には人の考えることは千差万別。

それは、「事情が違う」からだと、私はそう解釈している。

人は、事情に縛られて生きるしかない。

私もそうだ。

だから、私は違うことは仕方がないと思っている。

いくら自分が正しいと確信していても、

自分の考えを通したいと思っても、

説得してどうなるものでもない。

自分が抱えているこだわりと同じように、向こうにも向こうの事情がある。

これは厳然たる事実だ。

動かしようのない事実であり、結局のところ、そこからどんな今と未来を作り出していくかを考えるしかない。

関わり合ってもお互いにとって心地よいものが産み出されないのだとしたら、

静かに離れたらよい。

私なら、相手を尊重しながら離れる。

それが得策だと思うからそうしている。

離れようとしても、相手が追いかけてきて無防備な自分を攻撃してくるかもしれない。

だが、私の経験では、そんな目に合ったことは今のところない。

だから、関わっても仕方がないと感じたら、静かに離れるようにしている。

だが、離れたくてもすぐに離れるわけにいかない関係もある。

大きな苦痛をともなうことも少なくないが、

私は「相手が悪い」とは考えない。

そう考えてしまうと、自分が苦しくなるからだ。

誰かのせいにしても、よい今と未来は絶対に訪れないし、むしろ遠ざけてしまう。

誰かのせいにせず、そこに留まることはたしかに辛い。

だが、誰かのせいにして、楽しくない今と未來を確定させるよりははるかにマシだと思っている。

もちろん、誰かのせいにしないと収まらない人もたくさんいる。

おそらくそんな人の方が多い。

収まらないのだから仕方がないと思う。

本当は離れたいけど、すぐには離れられない人から悪者扱いされることもある。

楽しくはないが、それでも私は仕方がないと思う。

そうしたことをも引き受けて生きていく。

そうしたことが、今の私に課せられているのだと思っている。

これだけたくさんの人間がいるのだから、摩擦の中で生きていくしかない。

生き延びていくための耐性とテクニックは大切だと思う。

単に鈍感になるでもなく、

他者を悪者に仕立てあげることによって無理やり自分自身を肯定するでもなく、

つまらない感情に振り回されない、

自己矛盾に苦しむことのない生き方を重ねていきたい。

この世にあるのは全て必然。

なるべくしてなったという現実が横たわっているだけで、

それをどう受けとめるかは自分しだい。

この世に生まれてきた以上、できるだけ心地よい場所と時間で埋め尽くしたい。

理不尽とも思える過酷な試練も、私が幸福を感じるために必要なことなのだと思っている。

辛いこと、悲しいこと、苦しいことも、私はこの人生を全部まとめて引き受けることを楽しみたい。