「今の私をバカと言うなら、バカもなかなかいいと思う。」
へんてこりんなタイトルが頭に浮かんできたので、勢いで少し書いてみる。
思っていることを短い言葉で表現することは簡単ではない。
このタイトルもそう。
これを見ても、なんのことやらわからない人の方が多いと思う。
常識から外れた感覚を、
常識の中で説明するのは非常に手間がかかる。
わかりやすく説明するとしたら、こんな感じ↓
もし、今の私に向かって「お前はバカだ。」と言う人がいたら、
私は、「(今の私がバカだとしたら、)バカも悪くないな。」と思う。
と、だいたいこんな意味である。
こう書いてもピンとこない人もいるかもしれない。
実際に「お前はバカだ。」と言われたら、私も楽しくはない。
だが、私は腹が立っているわけではないのだ。
他人が私のことをどう思っていようが、
そのために私自身が大きく動揺したり、重大な影響を受けることはないからである。
私は、私のことが好きであり、
私のことを他人がどう思っていようが、そんなことはほとんどどうでもいいのだ。
私が私のことを好きなのは、
どうせならこの命を楽しもうと思っているからであり、それはごく当たり前のことである。
得意なことよりも不得意なことの方がずっと多いが、そんな不自由さも含めて色んなことが面白いのだ。
たくさんの人の波に揉まれながら生きている以上、人目が気にならないわけではないが、
そんなことはとても小さなことだと思う。
若い頃は腹を立てていたと思うが、いつからかわからないが、今は全然腹が立たない。
少々面倒くさいとは思う。だから楽しくはないのだが、
なんと思われようがどうでもいいと思う。
ほんの一瞬、直面する事実に向き合いはする。
私に向かって「お前はバカだ」と言ってくるということは、
その人は私のことが不快なのだ。
不快なのは仕方ない。
私もそう思うことはあるし誰も悪くない。
悲しくも残念でもない。
無理に好きになる必要もない。
無理やり好きになろうとしてもなれないし、
無理して仲良くしようとすると体調を崩す可能性もある。
自然に任せればよい。
不快に感じるということは、離れた方がいいというサインであり、
それは悪いことではない。
そこから新しい未来が拓けていく。
素直に離れたらいいのだ。
ただ、
「お前はバカだ。」と言われる前から、予感のような違和感はあるはずなのだが、
そうだとしても実際にそこまで言うか?と少し思う。
「この人は言った後のことをどう考えているのか?」という問いが頭に浮かぶわけだが、
私には不思議だ。
そんな言葉を口にしたら気持ちが悪くなるし、
そんなことを言わないと済まなくなる前に距離を取ればいいのにと思うからだ。
だが、他人との適切な距離を調整できない人は多い。
そして、勝手に不満を溜め込んでしまい、
その不満を一人では処理できなくなって、
結局、人のせいにしてしまうのだ。
可哀想だと思う。
感情に飲み込まれ、コントロールできないのは辛いだろう。
可哀想だが、私にはできることがない。
私は、感情をコントロールできない人と関わるのは無駄だと思う。
好きでも嫌いではないが、ひたすら面倒くさいだけだ。
だから、私も素直に距離を取ろうと思う。
また、
「お前はバカだ。」と言われたら楽しくないと言ったばかりだが、
実は私の中で、悦んでいるところもある。
ここは今の自分の居場所ではないということがはっきりした瞬間、今まで見えてなかった新たな景色が見え始めてくる。
私はこの感じが好きだ。