先日、ある若い人から相談を受けた。

「最近やる気が出ない。」

「やらねばいけないことがあるのだがモチベーションがゼロになってしまい、本当に何もできない。」

「自分は何がしたいのか、何が好きだったのかさえわからなくなってしまった。」

だいたいこんな感じ。

よくある話だと思う。

私も若い頃、同じようなことで何年も思い悩んでいた。

感じ方や対処の仕方は人それぞれなので答えは一つではないが、

私の場合、

散々悩んだ末、「まず、自分を責めるのは止めよう。」と思った。

冷静に考えて生産的でないからだ。

私もずっと自分自身を責めてきた。

だが、当たり前だが、

「ぐうたらで自分は無価値。」といくら考えても、何もいいことはない。

自分にムチを入れ、無理やりにでも仕事に向かうつもりで自分を責めるのだが、

そんな風に自分を追い込んでも、

全然やる気にならないし、少し作業できたとしても、無理の反動で、すぐに心と体が動かなくなってしまう。

そして、さらに自分にダメ出ししてしまう悪循環。

こんなことを繰り返していたら自分が弱っていくだけだ。

自分を痛めつけるだけなら、そんなことはしない方がいい。

散々悩んだ末、心からそう思った。

ここが転機だったと思う。

当時の私は、

八方塞がりの悩み苦しみの中にいたが、

ささやかな幸せも感じていた。

落ち込んでいる時には悪いことばかり考えてしまうものだが、

私は「朝」が好きだった。

どんなに落ち込んでいる時でも、

朝陽を浴びると嬉しくなる。心と体が心地よく小さく沸き立つ感じがたまらなく好き。

そんな自分に気づいた時、

「自分は幸せだ。」と、心からそう思った。

また、

親戚、友人、実の娘など大切な人が亡くなっていくたび、

人はどんな気持ちで死んでいくのか、否が応でも考えることになる。

人生の時間は有限で、

日々どんな気持ちで生きているかが重要なのではないかと思うようになった。

人は押し寄せてくる感情の波に流されやすい生き物だが、

小さな幸せを常に感じ取り、そこへの感謝を忘れないでいれば、

苦しいことも悲しいことも含め、

人として様々なことを感じることができるのが、とてもありがたいことだと思えてくる。

それだけでとても幸せだと思うのだ。

この気持ちを大切にして過ごしているうちに、

相変わらず悩み苦しみを抱えたままなのだが、

ネガティブな感情に支配されてしまうことが無くなった。

常に小さな幸福を感じ取り、感謝の気持ちを持ち続けているだけで、

乾いてボロボロにひび割れしていた心が、

瑞々しく、温かく満たされていく。

必然的に、自分に与えられた命を大切にしたいと思うようになり、

自分は周りに生かされていることにも気づき、

すべての縁に感謝し、恩返ししたくなる。

あんなに無気力で何もかもが嫌になっていたのに、

気がついたら、今の自分はやりたいことだらけになっている。

人生の時間は限られている。

どうせならとことん楽しもうと思う。

この宇宙で、地球で、人として生まれてきたのは奇跡であり、

今、こうしてこの命をいただいている以上、

運命、使命をすべて引き受けて私なりの人生をまっとうしようと思っている。