昨夜、子育て真っ最中の頃の母が書いた日記のようなものを読んだ。

今から50年ほど前のことが書かれている。

日記と言っても毎日ではなく、数ヶ月も間が空いていることも珍しくない。たいして量は多くない。

私が1歳からだいたい9歳くらいまで、

当時まだ20代から30代前半の、

様々な不安と向き合いながら4人の子育てに奔走する母。

初めて読んだが、真新しい情報もなく、

淡々と読み終えた。

母に関しては、もちろん私なりに思うところもあるが、それは読み終えた今も何も変わらないようだ。

良し悪しは別として、

母は母の事情の中で生きてきた。

私は4人兄弟の一番年長だったし、

余裕がなくて不機嫌なことの多い母親を横目で眺めながら過ごしてきた。

誰かを頼る発想は私にはなかった。

母親を怒らせないよう、常に顔色をうかがうのが日常であった。

元々は私自身の中にも様々な感情が渦巻いていたのだが、

そうしたものを外に出してもろくなことがないので、

すぐに蓋をするようになった。

何を見ても聞いても、何にも感じないようにするクセが定着していった。

我ながらたいしたものだと思う。

あの環境では私でなくとも、そうせざるを得ないと、今も思う。

日記の中で、母は、素直な気持ちを外に出さない私への思いを書いていた。

以下は、昭和52年12月29日の全文。

「今日は裕にしかりつける。というのか、何というのか、裕は普段から、自分の思うことを人に話すことが、非常にすくなくて、私も手こずることが多かった。今日は、それを思いきりブツケて、裕の反応を見た。気が弱く、気持ちをすなおに話す気が、全く、ないのだ。私が余り、きびしくおさえつけるからいけないのかとも思ったが、裕に親子の愛情、人と人との愛情を、よくいろいろな例をあげて、話してきかせ、私がきびしくしかるのは、愛によるものであることを、つよく納得させようと努力した。私は自信をもって愛する子供たちを育てたい。しかることが、決して子供を憎むからではなくて、それを受けて伸びてくれると信じるからしかるのだ。私たちにとって、4人の子供に勝る宝は存在しないことを告げた。裕は、「それじゃ、ボクたちは、お金よりも大切なの?」ときくから、お金は私はいらない。ただ、人を愛する気持ちだけだ。愛にともなって幸せにしようという努力が生まれ、その努力がお金を伴って生活をうるおしてくれるので、お金は必ずしも人の幸福につながるとはかぎらないのだと話す。人と人との交流において、話すこと、特に各々の気持ちを話して自分を高めることがいかに大切かを言う。裕は我慢強い子である。しかし、我慢ばかりして、自分の気持ちを人につたえようとせずに、胸の中をとじておくことは、良くないのだ。うれしかったこと、かなしいこと、くやしいこと、腹の立つこと、こうしてほしいという願望、これだけは絶対に許せないという拒否、それぞれのその時々の気持をすなおに話してこそ、自分も相手に理解してもらえるし、自分も人を許せる、又は、理解し合える人間になるのである。何もこわがることはない。安心して、母や父や、兄弟には、何でも話すこと。母として、子供の心の中がわからないことが、何よりも悲しいと思う。何でも、この父や母に、うち明けてほしい。一人の子供、一人の人間として、裕、そして、その妹や弟の生き方を真剣に考えてあげたい。明るく、素直、優しい心、ひかえ目、健康、努力、これらの裕のすぐれた性格の一つ一つが私たちにとっては、美しい宝にまさる。それに、忍耐も加えて…。しかし、私たちは、裕に勇気を与えたい。来年こそは勇気ある裕になる様、努力してほしい。私たちも、力をかそう。たくましい、おまえたちの成長の為に、私は微力ながら、その助けとなり、みちびくことのできる幸せを誇りに思う。亡き母よありがとう。父よありがとう。必ず良い子に育てます。子供たちのために…。」

以上である。当時の私は8歳。

こうして読んでも何も新しい感情はない。

まさに母はこのとおりだ。

私としては、家族ができるだけ穏やかな心でいることしか考えておらず、それこそが私の唯一の望みであった。

自己主張しても受け入れてもらえる感じはないし、そうすることで不穏な空気が流れる可能性を考えれば、自分の感情に蓋をする以外に方法がない。

私は物心ついた時にはすでに達観していたし、母には何も期待していなかった。

母に関しては、

ただひたすら、時をやり過ごすだけでしかなかった。

嫌いなのではない。生んでくれたから今の私がある。

一生懸命なのもわかる。

だが、当時の私としては、感情に蓋をしてやり過ごすしか方法がなかったのだ。

私には、八つ当たりをされる妹たちの姿が目の奥に焼き付いている。

幸いなことに、自分がされてきたことの記憶が表面に出てくることはあまりないのだが、

妹たちのことを思い出すと、どうしても調子が悪くなる。

私は、いつだって血の繋がった家族のことを強く思っている。

それぞれ幸せを追及して欲しい。母も妹も弟も、10年前に死んだ父も、

今、私が、私らしく生きていることを喜んでくれていると確信している。