私は5年前に当時19歳の二女を亡くした。
そしてその瞬間から、自分を取り囲む世界の見え方がガラッと変わった。
それまで気楽に右から左へ受け流してきたことが、
いちいち私の胸に刺さってくる。そして私の手首足首を掴んで離れない。
通りすがりの見知らぬ人の心の中とか、
わかるわけではないが、深いところまで勝手に想像してしまう。
二女を失う前の私は、自分の感情に蓋をして生きてきた。
それが、
二女の死を境に、たくさんの感情が噴き出してきて、
無視できなくなっている。
苦痛とは違う。
気づけること、感じることの喜びの方が大きいのだが、
かなり疲れる。
そして当たり前のことだが、仕事が遅くなった。
飛び込んでくる情報の性質、意味が今までとは違うから、
どう対処したらいいか、すぐには答えが出ない。
遅いからダメだとは思っていないが、
今の私は、傍目に理解しずらいところもあると思う。
先日、急逝した親友の葬儀に参列した。
私は酷くフリーズした。
彼のお母さんと妹さんを前に、どう振る舞ったらいいのかわからなくなった。
私は、
二女を亡くしたあの時に瞬間移動していた。
もう5年以上経つが、
私の中では、あの時の気持ちが今もそのままでいる。
私は、寂しさに襲われながらも彼といつも一緒にいると思っているが、
お母さんや妹さんを目の前にすると、言葉が出てこない。どんな顔をしたらいいのかわからない。
彼の部屋で遺品をもらってきた。

一緒にオフロードバイクで林道を走った時のヘルメットや、ともに所属していた草野球チームの帽子、等々。
バイクグローブを眺めていると、彼の手のように思え、少し動いているような気がする。
あいつが身近に感じる。
うまく表現できないが、なんだかすごく身近に感じている。
お悔やみ申し上げます。 私は29年前に息子を亡くしたので、私は共感することができますが、昨日のように感じます。 私は人を失い続けて以来。 いつかまた会えますが
そうだったのですね。娘も友人も、心の中ではいつでもどこでも一緒と思っています。
わたしは、矢作直樹さんの「人は死なない」という本を興味を持って読みました。
それは、わたし自身がそこにいるんじゃあないかという体験をしたからです。
黄泉の国からみれば、体がないだけで、意識はそこにあるんだろうな、、、と考えています。
訂正 わたし自身が亡くなった人がそこに
ご冥福をお祈りいたします。
未来ある若いうちに先立たれると、、受けとめることがなかなかできなかったりしますが、前を向いて自分にできることに打ち込もうと思います。
お悔やみ申し上げます。私には、経験が無いから、なんと言葉をかけることがいいのかわかりません。しかし、私にも一人息子がいます。それは、想像に耐えないです。あなたとの出会いに感謝します。