いきなりだが、

私は、多くの人に「投資」を勧めたい。

日本の社会に、投資行動を広く一般化させたい。

そう思っている。

だがたぶん、こんな風に書くと誤解される。

「投資の目的は金儲け。」と思っている人が大半であり、

そもそも投資をするもしないも個人の自由であり、「よけいなお節介」だと。

そんな風に思われるに決まっているので、普段は私も何も言う気にならない。

だが、ここは誤解を怖れず書いてみようと思う。

当たり前のことだが、

私も他人の生き方に介入したり自分の考えを押しつけようとはまったく思わない。

そういうのは人一倍嫌いである。

では、何故こんなことを言うかと言うと、

投資が一般的になることによって、

閉塞感に満ちた今の日本社会が好転し、新しい未来が拓けていくと、そのように思っているからだ。

ほとんどの人は、投資をするしないは個人の問題でしかないと思い込んでいるが、

今は死に金となっている、国内2,000兆円とも言われている現金や預貯金の、ほんの一部でも市場に入るようになると、

それだけでも社会がかなり活気づくと思うのだ。

少子高齢化で生産年齢人口が減り、消費行動も縮小へ向かう日本経済のムードも、かなり変わるはずだ。

今の世界はコロナ禍の最中にあるが、

アフターコロナを見据え、すでに業績の好調な企業なども相当出てきている。

そうした企業や個人の活動を正当に評価し、その期待の分だけ日本の国民も投資すべきであると、そう思っている。

事業体を応援する。それが投資である。

その時に資金を投下するのなら、

そのお金は出資者の手元から離れる。

お金は事業体に渡ってしまうのであり、

私が投資する時も、お金のリターンを得るために投資しているのではない。

投下した資金は、その企業や個人の血となり肉となるのであり、

その時点で私は満足している。

資金を投下した事業体が成長すると、結果として、投資家にも利益の一部が分配されたりする。

その余剰資金で、さらに応援したい企業や個人の活動に投資する。

目指すべくはその繰り返しと積み重ねである。

この過程で、結果として自身の資産が拡大していくことになるが、

目的はあくまで、事業体の活動を支えることにある。

投下するのはお金だけとは限らない。

当然、自らの時間や労力を投入することもある。

社会活動というのは、

それぞれが目的に向かって労力や時間、資金を投じることであり、

お金を稼ぐことが目的なのではない。

何故なら、お金そのものには価値はなく、

お金をいくら持っていても、お金を有効に使える場所がなければ意味をなさない。

例えば、

自分の住む地域の経済が萎んでしまったら、

自分がいくらお金を持っていても、人生の質は高められない。

だから多くの人は、

地域のために、望ましい社会のあり方を模索しながら、様々な活動を積み重ねていく。

時間や労力を投じるのも立派な投資行動であり、

直接的に時間や労力を差し出さなくても、資金を投じることで遠く離れた企業や個人の活動に参加することもできる。

それら全てが投資なのだ。

今の日本は、

こうした視点から、「投資」を見つめ直し、考える習慣を持つ必要があると思っている。

今と未来を正しく評価すると

もっとこれからの日本経済にも期待していい。

お金について、今こそ学ぶ「必要」がある。

これからは、お金に縛られず、

よりよい社会の構築に向かって、確実に、よりスムーズに近づいていけると思っている。