月初めに職場の鍵を渡されていたらしいのだが、私にはそうした記憶がなく、ここ数日途方に暮れていた。

複数の同僚が私が鍵を受け取ったのを見ている。

これが「老い」というものかもしれない。

すっきりとは思い出せないが、なんとなく引っ掛かるものが私の中にある。

だから私はたしかに鍵を受け取っているのだ。

複数のタスクを同時並行で処理することに苦手意識はなかったが、

年々その力が下がってきている。

鍵を渡された時、

私はある考え事をしていた。

考え事をしている時に鍵を渡されたのだ。

たしかに渡されたのだが、

私の中で「鍵を受け取っている」ということがきちんと処理されていなかった。

鍵だとかお金だとか、

そうしたものをしまう場所はだいたい決めているのだが、

それが見つからないということは、

大切なモノだと認識しないまま、無意識にどこかに置いてしまった可能性が高い。

この一週間、

何度も記憶を遡り、同じところを頭の中でグルグルすることに疲れを感じ始めていた。

昨日の朝、仕事の予定を確認していたら、

ふと、9月10日は斉藤由貴の誕生日ということを思い出した。

斉藤由貴と言えば、「夢の中へ」。

足踏みしながら、

「探すのを止めた時、見つかることもよくある話で♪」

などと歌うのだ。

55歳になる斉藤由貴のことをぼんやり思い出していたら、

職場で使っているカバンの、いつもは使わないポケットに、私が鍵を差し込む映像が頭に映し出されてきた。

あった!

実はこうしたことは今までも何度かあった。

斉藤由貴が、私の記憶を取り戻す「鍵」になっているような気がしている。