男子マラソンを横目で見ながら(耳で聞きながら)朝のルーチンをしている。

五輪のクライマックスと言えば、男子マラソン。

私もマラソンはわりと好きだ。

だが、テレビをつけてはいるが、他のことに優先するようなものでもない。

今日も暑くなる。

暑くなる前に庭の手入れ、新聞や段ボールなどの古紙をまとめ、持ち株のチェックと相場情報のアップデート、ウーパールーパーの水槽の水温調節などをしながら、

レース展開により切り換わる画面で、札幌の景色をチラ見している。

日頃から見慣れている札幌の街並み。

今の私は、レースそのものよりも札幌の様子が気になっている。

コロナが拡がってから、私が札幌に行く機会も激減している。

人や車の流れ、市民の表情などが気になる。街頭に並ぶ店は元気にしているだろうか。

日本代表の大迫、服部、中村には頑張って欲しいが、

それと同じくらいに外国人選手たちも頑張って欲しいと思っている。

日本選手に対して特別な意識はない。

誰がどんな成績だろうと、特別に喜んだり落胆することはない。

今回のマラソンも海外の選手が強そうだ。

私もマラソン競技そのものの魅力に浸りたいと思うが、

事前の情報、中継のウエイトは日本選手に偏っている。

服部と中村が早々にトップ集団から脱落してからの画面は大迫ばかり。繰り返し大迫の話ばかりしている。

レースを牽引しているアフリカ、欧州の選手の情報も一応紹介されてはいるが、全然足りない。

知りたい情報が知らされない。

一番見たい場面が見られない。

いつものことながら、消化不良のままレースが進んでゆく。

一流選手の心技体、競い合う力と技を堪能したいのだが、その思いは叶わない。

今さらなんとも思わない。私は白けている。

マラソンに限らず、どの競技も日本選手のことばかりがクローズアップされ、

あらかじめ仕組まれた筋書きを必要以上にこねくり回し、バランス感覚の欠落した、歪んだ感動を無理矢理押しつけられる。

気持ちが悪くて見ていられない。

こういうものだと思っているので、苛立ちも怒りもない。

諦めを通り越して、もはやなんとも思っていない。

だから今回の五輪も適当に眺めている。

日本人に限らず選手たちにはエールを送りたい。

結果は事実として受けとめておくが、

競技そのものにも、結果にも、特別に胸躍るものは私にはない。

五輪だからと言って特別なものなど何もない。

私は、選手たちがこの舞台に立つまでの過程に思いを馳せている。

人の営みの本質は、日頃の心持ちと日々の地道な積み重ねにあると思っている。

地位や名誉に目が眩んだり、

日常の価値を貶め、差別や格差を固定化させるものだとしたら、むしろマイナスだとさえ思っている。

様々な形で社会の分断を引き起こし、

不祥事が多発。

迷走につぐ迷走で、膨大な税金、人の努力と思いが泡と消えてきた。

さらにコロナの感染爆発が懸念される中、強行されてきた東京五輪。

この五輪が私たちの生活に大きな影響を与えているのは紛れもない事実であり、

その意味で目を逸らすわけにはいかない。

事実、様々な角度から冷静に東京五輪を受けとめている人も多い。

ケニアのキプチョゲが30kmくらいから独走。ブッチギリで五輪2連覇を達成した。

キプチョゲは、2019年に非公式ながらマラソンで2時間を切ったこともあるという。

銀はオランダのナゲーエ、銅はベルギーのアブディ。

大迫のすぐ前を走っていたというのに、残念ながら顔も名前も覚えることができなかった。

王者キプチョゲの名前と顔も数日したら忘れそうである。

今の五輪報道のあり方は、私の期待からはほど遠い。

大迫も服部も中村も、暑い中よく走ったと思う。

だが私は、

日本人選手にまつわる、作られた筋書きドラマより、

このレース、五輪そのものを様々な思いで眺めている若い人たちのことが気になる。

いや、それ以上に、

札幌の商店街と明日以降の道内の天気と感染者数が気になっている。