現代物理学において時間は存在しないとされている。

存在しているのは過去でも現在でも未来でもない無数の瞬間で、

それらは全て並列的に存在しているという。

もはや存在していないものは無いというくらいのありとあらゆる瞬間、パラレルワールドのようなものが無数にあり、

私たち人間は、その無数の瞬間の上を転がり続けているらしいのだ。

無数の瞬間の上を転がっている人間が、

過去から現在、現在から未来という時間の流れがあるように感じているだけ、なのだという。

これは現代物理学の理論上の話であり、

私たちの現実は、時間感覚を抜きにして考えることはできないのだが、

私はこの手の話が好きである。

私たちが無数の瞬間の上を転がる時、

どこにどのように転がるかはそれぞれの自由意思の影響を受ける。

例えば、

私は受験勉強が好きではなかったが、受験勉強をしてきたことによって、よくも悪くも人生が変わったと思う。

他にも、バイク免許の資金を作るためにバイトしたり、公務員を早期退職して様々な活動を始めたり、

もちろん、どんなに望んでも叶わないこともあるが、

自分自身の意思で欲しい未来を手繰り寄せることは可能なのだ。

水は高いところから低いところへ流れ、

熱も高いところから低いところへ移動する。

自分の中に熱がなければ、

自分の周りの熱の高いところからの影響を受けるだけだが、

自分の中に熱(情熱のようなもの)があれば、その熱は周囲に影響を与え、

自身が転がっていく世界をも少しずつ変質させていく。

未来は、自分自身の思い一つでどうにでもできると思うのだ。

とは言え、無数のパラレルワールドはよく似たもの、見た目に同じようなものしか近くにはなく、

いきなり遠くのワールドに瞬間移動することは、普通はできない。

目指す未来(瞬間、世界)に近づくためには、

今、この瞬間に自分自身の意思をにじませ、

そうした現実を地道に積み重ねていくしかない。

こう考えると地味な作業も悪くない。

おそらく運命は好きなように変えられる。

どうせ生きているなら、そう思いながらゴロゴロ面白そうなところを転がっていた方が楽しいと思う。

そして、たぶん死んだら、無数のパラレルワールド全てを当たり前に共有する世界に戻るような気がしている。