公務員を早期退職してから1年4ヶ月になる。

フリーランスとして試行錯誤の毎日。

とても楽しい。

何度か単発の仕事を請け負ったこともあるが、

基本的にはどこにも所属せず、毎日やり繰りして自由に好きなことをしている。

自分の思うように生きるのは本来当たり前のことだが、

今の常識はそうではなくなっている。

自分が何をしたいのか見失いやすいし、

そこに気づいても、行く手には巨大な社会、常識が立ちはだかる。

私は50歳になる頃、自分の中に常識や同調圧力を乗り越える何かがあることに気づいた。

最初はそれをどう扱えばいいのかわからなかったが、

これからは自分の人生を生きようと思い、公務員を早期退職した。

人は環境の中で生きるしかないが、

その中にあっても自分らしく生きていきたいと思うこともある。

私もそうなったから、そうした。

それだけのことである。

一大決心で早期退職の決断をしたと思われがちだが、

私の場合、動機も行動もとてもシンプルだ。

若い頃の私は、

自分が何をしたいのかわからず、周りに流されるように生きていた。

それが良いとか悪いとかでなく、当時の私はそうだった。

それが年齢を重ねるにしたがい、私の中にムクムクと育つものがあり、

ふと気づくと、そのパワーが常識や同調圧力を逆転していた。

今は毎日がとても楽しい。

基本的にワクワクしている。

想定外の色んなことがあり、何がどうなるかわからない。

公務員時代には無かった感覚。

今の私は感じるままに生きていて、そんな自分を当たり前に信じている。

自分自身の感性に疑いのない状態。

わざわざ意識せずとも、本来当たり前のことだが、

私の27年間の公務員時代は、当たり前ではなかった。

今は全ての運命を受け入れ、あらゆる縁に感謝しながら生きている。とても充実している。

今を大切と言うか、今を生きている。

去年の春までは、今を犠牲にすることでその対価を得てきた。

自分の人生と役割、大切な時間、そうしたものを粗末にしているようで、

その意味で、私は罪の意識を拭えないでいた。

公務員制度や社会の常識にダメ出ししたいわけではない。

だが言葉を選ばずに言うと、

公務員制度に象徴されるこの社会は、人を飼い殺しにする仕組み以外の何物でもないと、

私はそのように思っている。

自分だけでなく他人の思想と行動を拘束し、今という大切な瞬間、たくさんの人の人生が台無しになっていく。

人の数が多くなればどうしてもルールが必要になる。

現行のルールが作られてきたのにも理由があり、それはそれで相当の役割を果たしてきたのも事実。

だから、今のルールも悪いことばかりではない。

そもそも良くも悪くもない、現実でしかないのだが、

個人や社会のあり方も常に変化している。

個人と社会の関係性、そこに横たわる課題も揺らいでいる。

ルールの中に押し込めようとしても立ち行かなくなることも出てくる。

頭をもたげてくるものがあるのなら、そこを封じ込めるのは無理だし、無視もできない。

結局のところ、その事実を受けとめるしかない。

私も、私の中の心の動きを大切にしようと思っている。

そして、こうした思いを抱いているのは私だけではないと思っている。

常識や同調圧力の存在を認めつつも、

互いに縛り合うばかりではなく、それぞれの生き方を尊重し合える社会をイメージしている。

人生は思いどおりにはならないが、思っているとおりになる。

イメージし続けていれば、そのイメージが現実を少しずつ変えていく。