「私の母は毒親である。」

私がこうして母について話したり書くようになったのはここ数年のことである。

母のことを話したり書いたりできるようになりたいと望んでいたわけではないが、

いつの間にか私が生きていく上で必要なことだと思うようになり、

気がついたら話したり書いたりするようになっていた。

私は話したり書いたりするようになったが、

母はおそらく、私を理解していない。受け入れることもできないだろう。

だが、だからと言って私が口をつぐむことにはならない。

私が自分の人生を生きていくために、

母のことを話したり書いたりすることは必要なことなのだ。

母を踏み台にしているとは思っていない。

母が産んでくれなければ私の人生はないのだから、とても感謝している。

一番の恩人だと思っている。

私が恩人を裏切ることはない。

揺るぎないリスペクトがあるからこそ、話したり書いたりしている。

なかなか理解されないかもしれないが、私の中では筋道が通っている。

そもそも私は、

毒親が悪いとは一ミリも思っていない。

恥ずかしいことでもない。

いいも悪いもない。

母には母の事情があるのだ。

その事情の中で、母は今も精一杯生きている。

それ以上でもそれ以下でもない。

私も同じである。

私も私の事情の中で精一杯生きるしかない。

人としての肉体を持てば、

できることだけでなく、できないこともある。

能力の問題ではなく、環境や時間の制約も受ける。

その中で私は、産んでくれた母のためにも私の人生を生きる。

今はそれしか考えていない。

それ以上何があるだろうか。

私は、

私が私の人生を生きることが、母の望みだと思っている。

だから今の私には迷いがない。

私の場合、置かれてきた境遇を考えると今のようになるのも当たり前だと思っている。

今の私も良くも悪くもない。別にどうとも思っていない。

生まれてから約50年、私は自分の人生を生きてこなかった。

そのことに引け目を感じたり卑屈になっているわけではない。

事実は事実として受けとめ、これからどうするかしか考えていない。

私は、今この瞬間から、自分の人生を生きることにした。

それだけのことだ。

母とはしばらく会っていない。

声も聞いていない。

今の私にとってそれが自然なので、結果としてそうなっている。

未来のことはわからない。

私はなんとも思っていない。

怒ってもいないし、恨んでもいない。

だが、

母と会ったり声を聞けば色んなことを思い出し、

人としての様々な感情も噴き出してくる。

どんなにごまかそうとしても、現実に毒はあるのだ。

これはどうしようもない。

毒として噴き出してくることも良くも悪くもないが、

そんな風になりたいとは、今の私は思っていない。

私の人生のためにも、

母のためにも、そうならない方がいいと思うのだ。

私は、母への感謝の気持ちを胸に、自分の人生を生きる。

「いい加減許してやれよ。」などと言われたりもするが、

許すも許さないも、最初から私は怒ってなどいない。

母に対しても、誰に対しても、一貫して真心を込めて接している。

たぶん母は、私を理解できないだろう。

母だけでなく、私の思いを理解しない人もたくさんいる。

だが私は、人から理解されようがされまいが、自分の人生を生きるしかない。