3日前に米国株式の一部を少しだけ売却したが、なんだかモヤモヤしている。
利益確定をしただけなので損をしたわけではないのだが、
私の基本方針とは違う売買をしたことが今も引っ掛かっている。
私の基本的な投資姿勢はバイアンドホールド。
一度買ったものはよほどのことがない限り持ち続ける。
だが3日前の私は、短期的な戦略思考でその一部を売却した。
こう書くと、欲に溺れたと思われるだろう。
もちろん私の中には欲もある。
だが欲に引っ張られてそうしたのかと言えば、それは違う。
実はちょっとだけ試してみようと思ったのだ。
毎日相場を眺めていれば色んなことが頭に浮かんでくる。
短期的な株の売買で利益を得られそうな気がすることもある。
思いどおりになるかわからないが、
チャンスに乗ってみて、その後の自分がどう感じるかを試したくなった。
理屈ならだいたい知っている。
理屈に基づき、自分なりの基本方針もほぼ確立できている。
だが頭ではわかっているつもりでも、
実際に様々なシチュエーションで私がどう感じるかはわからない。
これからの私は、自分に無理のかかることをするつもりはない。
自然体であれさえすれば、自ずと道が拓かれると思っている。
そのためにも、今の私には何が無理なのかということも知る必要がある。
それを知ることによって、今の自分に何が不足しているかも同時に明らかになってくる。
結果として、
諦めることもあれば、一工夫することによって可能性を拡げられることもあるだろう。
そのような意味で、ちょうどいいタイミングと直感し、私は米国株の一部を売ってみた。
具体的には、米国ETFのQQQとTECLの一部を売った。
QQQもTECLもハイテク銘柄中心で構成されたナスダックに連動したETFである。
どちらも一点の迷いもなく長期保有するつもりでいた。
高い確率で勝手に上がっていくと思っているし、上がらなくても持ち続けるつもりでいる。
だが今の私は、
近いうちにナスダックが短期的な調整に入る可能性があると、そうも思っている。
短期的な目線に立つと、
高値圏にある今のうちに売りに出し、下がったところで買い直すというシナリオが浮かんでもくる。
それほど強い衝動ではないのだが、このタイミングを一つのチャンスとみた。
もちろん、シナリオどおりになるかはわからない。
わからないが、そうなる可能性が比較的高いと感じていたので、
失敗覚悟でやってみた。
成功したらしたで感じることがあるだろう。
失敗したらしたで、これもまた色々と感じることがある。
わかってもらえるかわからないが、
ある意味私は、小さな失敗をしてみたいのだ。
そこで自分がどう感じるか知りたいし、その必要をけっこう強く感じている。
実際に売った瞬間は、自分らしくないモヤモヤを感じた。
それは今も続いている。
だが、それ以上に私は、色んなことが面白いと思っている。
売却後の相場は、私が思っていたような流れには今のところはなっていない。
調整下落どころか、むしろ私が売ったところから上がっている(笑)
夏枯れ相場の時期に突入したので、調整下落はこれから始まる可能性もかなりあるが、
今の私が注目してるのは、
予想どおりになるかどうかより、相場の動きに私自身がどう反応するか。
評価をくだすにはまだ早すぎるのでなんとも言えないが、
私はだいたい満足している。
自然体の自分が一喜一憂しないでいることを、好ましく感じている。
その中で体の反応も感じ取っている。
大切な資産を一部売却したことで、
今の私は少し気持ちが悪くなっている。
予想どおりになっていないことも、わずかではあるが自信の喪失になっている。
今の私には短期トレードは向いていない。そういう見方もできる。
だが、だからと言って短期トレードから一切手を引くということにはならない。
私は、これからも短期トレードを意識し続ける。
私の目指す姿は、
長期投資を基本としつつも、その中に短期的な視点をも併せ持ち、相場環境に臨機応変に対応できるマインドと技術を駆使できること。
これである。
そう考えると、今の私は長期投資のマインドに傾き過ぎていると、そのように思うのだ。
今の私は株以外にも色んなことに首を突っ込んでおり、
相場に張り付くような生活を送るつもりもなく、短期的な目線が後退しがちだが、
それでいいとは思っていない。
短期の誘惑に溺れるのは良くないが、
短期の感受性と技術は身につけていきたいのだ。
混沌の中に身を置くことによって、自分自身の適性や足りないものが見えてくる。
自分は何をどうしたいのか、どうすべきなのかも自ずとわかってくる。
この先どうなるかはわからない。
だが、わからないから面白い。
今を大切に生きるには、面白いのが一番だと思う。