大相撲名古屋場所で横綱白鵬が15戦全勝。
大鵬の32回を大きく引き離す、前人未到45回目の優勝である。
本来であれば白鵬の偉業を称える声が溢れてくるはずだが、
相撲ファンだけでなく一般の反応は総じて冷たい。
長い伝統を誇る大相撲。
その最高峰に立つ横綱には特別な「品格」が求められる、とされている。
今の白鵬の姿は、そうしたものを完全に無視しているように映る。
立ち会いにおける長過ぎる間合い、乱暴なかち上げ、張り手の連発。
極めつけは、

土俵上での派手な雄叫びとガッツポーズ。
土俵入や時間前の仕切りにおいても独自の仕草を随所に散りばめ、
協会関係者だけでなく相撲ファンの中にも、今の白鵬の態度に違和感を覚えている人は多い。
私も白鵬には違和感がある。
不愉快に思うことも多々あるが、
一方、どこか胸をすくような気持ちになるところもある。
以前に読んだ相撲漫画の「ああ播磨灘」が頭に浮かぶ。

伝統や組織の論理に流されず、躊躇いなく自己主張している姿にハッとすることがある。
私が大相撲に期待しているのは、
研ぎ澄まされた精神を基盤にした、高いレベルの心技体のぶつかり合いである。
白鵬のスタイルは、従来の概念や枠組みから大きくはみ出してはいるが、
ある意味において目を見張らせるものがある。
非常に刺激的である。
気に食わないとかムカつくとか、私にもそういう気持ちが湧いてくるが、
それと同じかそれ以上に惹きつけるものがあるのも事実である。
と、滔々と書いてみたが、
私はここで白鵬の是非について語りたいわけではない。
野球では大谷翔平、将棋では藤井聡太などという傑出した才能が世界を席巻している。
白鵬とは性質が違うが、彼らにも従来の概念や枠組みを越えていると感じることがある。
多くの人が気づかないところで、すでに時代は大きく変わっているのだろう。
周囲との調和ももちろん大切だが、
これからの時代には他に大事なこともあるのではないか。
まずは自分自身に素直になる。
そして、死ぬ瞬間に後悔しないよう、今を大切に生きる。
白鵬、大谷、藤井らの活躍を横目に、
今の私はそれだけ考えている。
いずれにしても日本式が美しいと思います。
日本式 = 拍手や応援に頭を下げてお礼する。
西洋(大陸式) = 自分から拍手をして観客に拍手を求める。