7月と言えば、いつもなら相棒のDRと近くの林道に入り、
静かな木陰を見つけてのんびり涼んでいたりするのだが、
何故か今年はそんな気持ちにならない。。
全道で熊の出没情報が相次ぎ、例年の倍のペースで事故が多発している。
熊が出るのは今年に限ったことではないのだが、
なんとなく気持が、山の方に足が向かない。
こんなことは今までなかった。
去年までは山の方から呼ばれている感じがしていて、
自分の名前を名乗りながら、少しだけ仲間に入れてくださいという気持ちで少しずつ入っていくと、
包み込まれるようにして歓迎してくれるような感じがしていたのだが、
今は、山の無数の精霊たちから「今日は来るな。」と言われているような気がしている。
山はまた私を迎え入れてくれるだろうか。
熊の出なさそうな、見晴らしのいい河川敷の木陰などにDRを停めると、やたらと蝶が集まってくる。
辺りを見渡すと紋黄蝶、キアゲハが多い。
アイヌ語で蝶のことをヘポラプ(へポラ=羽をバタつかせる、プ=もの)と言う。
マレウレウとも言うが、ヘポラプが一般的である。
ヘポラプたちがヘポラポラ(羽をバタつかせ)しながら、
不自然なくらいに集まってきて、DRのミラーやハンドルグリップなどにとまってくる。
ヘルメットを脱いでも、バイクから降りても蝶たちはDRにしがみついている。
だが写真を撮ろうと思い、
スマホを取り出した瞬間、蝶たちはみんな離れて素早く飛んで行ってしまった。
しばらく様子をみていたが、戻ってこない。
諦めてヘルメットを被り、DRに跨ると、
何故かまた蝶たちが集まってくる。
しかもさっきよりも多い。
ハンドルを握る手指にまでとまってくる。
今度こそと思い、スマホを取り出すと、
またしてもみんな逃げて行ってしまった。
だからなんだという話。
こんな話をしても何の役にも立たない。
ただの偶然のようだが、
私はどうしても何かを感じてしまう。
どんな意味があるかわからないが、
蝶たちは私に絡んできているのだと、そう感じている。
蝶だけではない。
風や空気の動きが私を少しだけ歓迎してくれたり、何故か行く手を遮ったり、
周りの鳥や虫たちの鳴き声のトーンが急に変わることもある。
だから何かと言われても、表現できないが、
こうしたことが今の私の心に何かしらの影響を与えているのは間違いない。
突然の心変わりから、
行動が変わることも今までも何度かあった。
だから、直感は無視できないと思っている。けして小さなことではないと思っている。
私は不自然なことをしたくない。不自然なことは、だんだんできなくなっていくと思う。
公務員を辞めてからの私は、
以前よりも自分を取り囲む空気に注意を払うようになった。
特別に意識しているわけではないのだが、
直感みたいなものを感じることが増えており、それらを大切にしないといけないと思っている。
どこかに導かれているような気もしている。
どこに向かうのかはよくわからないのだが、
そのほとんどは私にとって無理なく心地好い道のようであり、
迷いなく直感を楽しんでいる自分がいる。
直感を感じることがさらに増えていくような気がしている。
亡くなった娘さんが、精霊になり、蝶々🦋たちに合図して、そばにいるよって、知らせているのかも
ありがとうございます。そうかもしれないと思っていました。一緒に遊んでるみたいでした(^^)
yutaka na onakaさん、こんにちは。
この夏、シュンクシタカラ湖に行ってみようかと思い立って、やめました。
僕も何だか呼ばれていない、そんな気がしたからです。
自然の中で奇跡のような美しいものに触れ、幾度か危険に遭遇しながらも生還してくると、自分は愛されているのだと思い込むようになります。
その気持ちに謙虚である必要はないが、傲慢であってはならないと思います。
自然の中にあっては自然であること、それが愛される秘訣なのでしょう。
いつかシュンクシタカラ湖に呼ばれる日を期待していますが、その日はもう来ないのかもしれない、とも感じています。