ここのところ「若者のワクチン接種が進まない。」との報道が盛んになされている。

そういうデータが出ている以上、事実は事実として受けとめておくべきだが、

私は今、報道されている事実よりも、このニュースの報道のあり方が気になっている。

政府の、世論を誘導する狙いが透けて見える気がして、正直、気持が悪い。

政府としては、ワクチン接種率を少しでも上げていきたい。

これは当然のことだ。

ワクチンについても様々な意見が噴出しており、国民の疑問は一向に解消されていないが、

オリパラを機に、なんとしてもワクチン接種を推進する。

それが今の日本政府だと思う。

個人的には感心しないが、日本国とはずっと昔からそういうものだ。

今までの流れからして、国がそう考えるのは当然だし、そうするしかない。

政府としては、オリパラを隠れ蓑にワクチン反対の意見を抑え込み、接種率を上げていきたいところだろう。

今回のニュース報道の、何が気持ち悪いかと言うと、

ワクチン接種をしない者の肩身が狭くなるように、さり気なく仕向けているように感じられることである。

ニュースの中で、

ワクチン接種を拒む人は、反政府思想の持ち主や、デマ情報を鵜呑みにする層に多く見られるとの指摘が強調されている。

実際には、体質や健康上のことなど様々な理由で接種できない人も大勢いるのだが、そこへの配慮はないに等しい。

多様性を認め合い、差別や偏見からの脱却を目指す観点から、こうした報道のあり方はどう説明されるのだろう。

あたかもワクチン接種を肯定、推進することが冷静で正しいという前提があるかのような報道だが、

いったい、いつどこでどのようにしてそのような社会的なコンセンサスが確立されているというのか。

まるで接種を拒む者は反日の偏屈者か知的レベルの低い者とでも言わんばかりである。

「非国民と呼ばれたくなかったら、デマを鵜呑みにするバカだと思われたくなかったら、

ごちゃごちゃ言わずに大人しくワクチンを受けろ。」

聞きようによってはこんな風にも聞こえる。

そのように感じているのは私だけではないはずだ。

ワクチンについては意見が大きく割れているが、

オリパラを間近に控えたこの時期は、声高にワクチン反対とは言いづらい。

これを機になりふり構わず、

この国特有の同調圧力を利用することに踏み切った印象が強い。

ワクチンの是非についてもあちこちで不毛な対立が起こり、

分断し続けることにみんな疲れている。

そんな中、オリパラは向こうからやってくる。

諦めるようにして体制側に身を埋め、一息つきたくなる人もいるだろう。

だが、本来は分断からの脱却はもっと違う形で果たしていくべきだ。

どちらかにボキッと折れること以外にも方法はある。

今のままでは、差別と偏見に満ちた社会を強化、増長することになる。

勝ち負けなんかではなく、

誰も犠牲にすることなく、現実に即した道筋だって絶対にあるのだ。

少なくとも、そこに向かう最低限の努力姿勢は必要である。

国としては接種促進に向かうしかない。

面倒くさくなり世論誘導したくもなるだろう。

いくらワクチンやオリパラの反対派が優勢でも、国の姿勢は変わらない。

だが、国民が変われば、いずれは国も変わらざるを得なくなる。

今は昔と違い、支配と搾取の構図の中で安心できる人ばかりではなくなってきている。

時代は変わり、国や組織は個人を守らなくなっている。

寄らば大樹の陰と言うが、

体制側に身を寄せることで安心かと言うと、そんなことはない。そんなのは今は幻想でしかない。

だが今も、組織も個人も厳然と存在している。

これからは寄り掛かる対象がない。

個人が自分の頭で考え、判断し、行動するしかない。

私は、あの人は、こちら側とかあっち側とか、問題はそういうことではないのだ。

国は今も国として存在しており、

その上で、これからの個人がどうあるべきかが問われている。

今のような社会で、同調圧力の中に身を置き続けて幸せな人などいるだろうか。

寄り掛かっても守ってもくれないのに、

無意味な圧力だけを受容できるだろうか。

今まではともかく、これからは不当な圧力は否定されるべきであり、

未来の子どもたちのためにも、

歪な世論誘導や同調圧力から脱却していく道を模索すべきであり、

これはこの時代に生きる私たちの使命だと思っている。