これまで私は公務員についての記事をいくつか書いてきた。

他にも書こうと思っていることが、たくさんある。

だが書こうとすると手が止まることが多い。

どうしても途中でつまらないことを思い出してしまうのだ。

今の私が思い出す公務員としての毎日は、

精神のベースが酷く貧しく、根暗で、

少し思い出すだけで気が滅入ってしまう。

わざわざつまらないことを思い出すのがもったいなくて、

書き始めても途中で止めてしまうのだ。

はっきり言って、

公務員としての仕事や時間の過ごし方はくだらなかったと思う。

個人的な思いだけでなく、

客観的な事実としてそう思うのだ。

「いや、これは私の偏った主観が作用しているに違いない。」

そう思い、ネガティブな思考はほどほどに、自然体で生活することを心がけてきた。

今の私は、組織のしがらみから解放され、全ての時間が自分のものとなっている。

以前に比べ、無駄な力が抜けているのは間違いない。

執着と言うか、余計な拘りがなくなってきたのが自分でもわかる。

湧き上がってくる感情を抑えつけたり捻じ曲げたりするのではなく、そのまま受けとめ、慈しむようになった。

恨みや憎しみから解放され、今まで感じたことのない自由な感覚を手に入れつつある。

タブーはタブーでなくなり、過去に重たく感じていたことの意味も、少しずつ前向きなものに変化しつつある。

私の27年間の公務員時代についても、いつか冷静に振り返ることができる日がくるはずだと、

そう思っているのだが、

今のところあまり気持ちが変わっていない。

公務員時代のことをあまり思い出したくないままでいる。

長きにわたり公務員として様々な業務に当たり、たくさんの人との出会いと別れ、関わり合いを経験してきた。

人知れず泣いたり笑ったりもたくさんしてきたし、本当に色んなことがあった。

全ての縁に感謝している。

だが、公務員だからできなかったということもかなりある。

実はその方が大きい。

客観的になればなるほど、その損失がとてつもなく大きかったと思うのだ。

思想や発言、行動が不当に抑制され、やりたいこと、やるべきと思うことができていなかった。

27年間、大きなストレスの中に閉じ込められ続けてきた。

社会の仕組みや不自由を知ることも必要であり、全てが無駄だったとは思っていないが、

不完全燃焼感が強い。

23歳から50歳までの、

人生においてとても大切な時間にちゃんと向き合えていなかったという後悔を拭いきれないでいる。

「私の公務員生活はつまらなかった。」と、

そう思っている。

私の場合、客観的になればなるほどそうなっていくのかもしれない。

公務員はつまらないと思っている人は私だけでない。

つまらないと思っている人の方がめちゃくちゃ多いだろう。

つまらないを通り越し、

日々逃れようのない苦痛にまみれ、取り返しのつかないところまで心身を壊してしまっている人も大勢いる。

つまらないことも事実は事実として受けとめることが必要である。

それが良いか悪いかは別の話である。

私は良いとも悪いとも思っていない。

自分に課せられた試練の一つとして目を逸らさず、向き合っていこうとしか思っていない。

公務員の仕事は誰かがやらないといけないことなのだが、

やり方がめちゃくちゃだと思う。

効率が悪すぎるし、優先順位のつけ方も明らかに間違っている。

投入している時間と労力に見合うだけの成果が得られていない。

これは社会の損失を意味する。

やり方が悪いことに苛立ち、

他にすべきことがあるのにできないことに苛立ち、

私も、ただただ心身を消耗し続けていた。

全ての公務員がそうなってるわけではないが、

少なくとも私は、ある種の蟻地獄に嵌っていた。

常に余裕がなく、気持ちを切り替えたくても切り替えることができなかった。

そういう環境に置かれていた。

もちろん、環境に左右されず健康的に働いている人もいるだろう。

だが多くの場合、そのメンタルは環境に大きく左右される。

私はもがき続けながらも、蟻地獄から脱出できなかった。

巨大な負のスパイラルの渦に巻き込まれ、このまま弱って死んでいくのだろうと思っていた。

と、こんなことを書くとやっぱり気が滅入ってくる(笑)

こんな気持ちに浸っていても全然楽しくないので、いつも書くのを止めてしまうのだ。

今日は、深呼吸して、書き続けてみる。

私は公務員にダメ出ししたいのではない。

過酷な環境で働いてきたことを武勇伝にしたり、同情を買いたいのでもない。

書けば誤解もされるだろう。

だから書きたくない気持ちにもなるのだが、

私は、そうした誤解や、自分の中のモヤモヤを乗り越え、

建設的な提案をし、

未来のために現実を動かしていきたいのだ。

だから、私は諦めずに書く。

今もギクシャクしていて思うようには書けていないが、書き続ける。

人にはみな、必ず役割がある。

何をしたらいいかわからないという人もいるが、

周囲に振り回され、今はたまたま道を見失っているだけだ。

元々は周りから指示されなくとも、

自分の中から自然と動き出すものが必ずある。

余計な拘りを取り除けば、必ず見えてくるものがある。

現代は圧倒的な量の情報が巷に溢れている。

目が眩み、たくさんの制限でがんじがらめにされ、

多くの人が本来の道を見失っているが、

道がなくなっているわけではない。

今はたまたま見えていないだけで、道はちゃんとある。

わけがわからないまま、けしかけられるようにして取りあえず働くのではなく、

たまには立ち止まってみたらどうか。

自分は今、何をしたいのか。

何をすべきなのか。

なんのために忙しくしているのか。

今やらされている仕事は本当に必要なのか。

今のままでいいのか。

そう考えた時、

私は今の公務員が気の毒でならない。

これは公務員に限ったことではないのだが。

巨大組織の中において、個人は歯車の一部でしかない。

誰であろうと、結局は組織内の役割以上のことはできないし、

誰がやろうと、生み出されるものは基本的に変わりはないのだ。

組織の中から台頭する者も定期的に出てくるが、

それも組織の論理の中での動きであり、基本的に個人が歯車であることに変わりはない。

…こうしたことも本当に書きづらい。

出世できなかった者の言い訳と思う人もいるだろう。

そう思う人は思えばいいと思う。

話を戻す。

人にはそれぞれ役割がある。

人生の時間は限られていて、けして暇ではない。

本当はやることがあるのに、そこから目を逸らし、

自分本来の役割とは違うことに振り回され続けていていいはずがない。

遠回りすることによって気づくこともあるので、基本的に人生に無駄なことはないと思うが、

私は、公務員として過ごしてきた27年間をいまだに消化できないでいる。

公務員には優秀な人材も多い。

だが、言葉を選ばずに言うと、彼らは飼い殺されている。

本来、彼らは自発的、能動的に活動し、それにより社会に貢献すべき人材である。

その彼らが、

組織の中で本来の能力を発揮する機会を奪われ、本来の役割を果たせずに次々と朽ち滅んでいく。

これを思うだけで胸が苦しくなり、すごく残念な気持ちになる。

今は優秀な人材が公務員という職業を選択しなくなっている。

人も給料も減らされ、過酷だが、やり甲斐があるわけでも能力を引き出せるわけでもないのだから当たり前である。

厳然と立ちはばかる巨大なシステムを前に、いかにして生きていくか。

疑問を持つことが許されない時代が長く続いてきたが、

少しずつではあるが変わり始めている。

戦後長く続いてきた日本の社会システム。

そこに疑問を持つことは時に生きづらさにつながることもあるが、

時代は常に移り変わってゆく。避けては通れないれない。

だから私は、自分の人生をまっとうする道を選んだ。

悔いを残したまま死にたくない。

今までできていなかった分を少しでも取り戻していきたい。

自分本来の役割を忘れず、今を大切にしていれば、

何をしたらいいかわからないということは起こり得ないと思う。