今日は市内のアイヌ語勉強会に参加し、ある発表をしてきた。

今回取り上げたテーマは、アイヌ民族と伝染病との関係について。

アイヌ民族は、伝染病を振りまくカムイのことをパヨカカムイ(パヨカ=歩き回る カムイ=神)またはパコロカムイ(パ=病気 コロ=持つ カムイ=神)などと呼んできた。

カムイは善玉ばかりではなく、人間にとって不都合なことをするカムイもいる。

人間としてはありがたくないカムイだが、

だからと言って冷たくしたり叩き潰そうとは考えない。

何故なら、伝染病の元となるものは元々自然界にあるのであり、

おそらく、これからも間違いなくあり続ける。

どんなに科学技術を駆使して抹殺しようとしても、完全に無くすることはできない。

現に、

科学、医学、公衆衛生などの進んだ現代にあっても、いまだ伝染病は無くなっていない。

伝染病と敵対しても撲滅できないだろうし、

仮にその伝染病をこの世から消せたとしても、

その瞬間に自然界のバランスが崩れ、別の形で不利益を被ることになるに違いない。

だいたいそのように考えられている。

結局のところ、

伝染病と対決しても、得るものがないどころか思わぬしっぺ返しを食らう可能性があるのなら、

どうにかこうにか折り合いをつけていくしかない。

このような考え方がベースになっている。

また、

伝染病の元となるものは、普段は私たち人間と穏やかに共存できているのであり、

ある時から人間にとって不都合な事態が起きているのだとしたら、

何かしら自然界のバランスが崩れているのだと考える。

共生と循環のシステムのどこかに狂いが出ているのだと。

狂いが生じたのは、もしかしたら人間の側に原因があるのかもしれない。

そうした自省の念を常に併せ持ちながら生活している。

だから伝染病が流行りだしたら、

まずアペフチカムイ(アペ=火 フチ=おばあさん カムイ=神)と対話をする。

アイヌ民族の住居であるチセ(チ=私たち セ=寝床)の中心に常に鎮座しているアペフチカムイは、

人間界と神々の世界との橋渡し役を担うカムイであり、

アイヌ民族は常日頃からアペフチカムイと対話を繰り返している。

だから伝染病が流行りだしたら、まずはアペフチカムイに相談する。

アペフチカムイとの対話の中では、当然に自問自答をも繰り返すことになる。

その中で気づくこともあるだろう。

だが、どんなに自問自答しても、アペフチカムイと対話しても、わからないこともある。

人間たちから窮状を聞かされたアペフチカムイは、

カムイモシリ(カムイ=神 モシリ=大地)に住むカムイたちに人間界で起きていることを伝える。

アペフチカムイからの報告を受けたカムイモシリのカムイたちは相談して、

アイヌモシリ(アイヌ=人間 モシリ=大地)の人間たちがあまり困らないようにしてくれるかもしれない。

そうなることを期待してアペフチカムイに祈るのだが、

それでも伝染病が鎮まらないこともある。

その時は、

人間が伝染病のカムイに直接お祓いをするしかない。

祓い清めることをアイヌ語で「エピル」と言う。

伝染病の神に対してお祓いすることを、パヨカカムイエピルと言う。

アペフチカムイにどんなに祈っても伝染病がなくならない時、

パヨカカムイエピルを行う。

エピルを行うと言っても、パヨカカムイと敵対するのではない。

「私たちに過ちがあるのならあらためますから、どうかこれ以上、ここで悪さをしないでください。」

こうした気持ちでパヨカカムイと向き合うのだが、

半端な気持ちで臨むとパヨカカムイの機嫌を損ねてしまうかもしれない。

これまで以上に伝染病が猛威を振るうことになるかもしれない。

だから、

エピルを行う前には、

大自然に棲み着く無数のカムイを味方につけるためのカムイノミ(カムイ=神 ノミ=祈り)を行う。

敵味方の問題ではないのだが、

無数のカムイに「これから自分たち人間の責任でパヨカカムイと全身全霊で向き合い、エピルを行うから見守っていて欲しい。」という思いを込めて祈る。

それが済んでから、

パヨカカムイと直接向き合う。

普段にはない緊張が走る。

パヨカカムイにも言いたいことがあるはずだ。

パヨカカムイからの声を聞き逃すようではエピルの成功はあり得ない。

だが、すぐにはわからなくとも、全身全霊で向き合っていれば思いは必ず通じるはず。

アイヌとカムイの関係はどうあるべきか。

本気であるべき未来を手繰り寄せたいと思うなら、道は必ず拓けていく。

2020年4月18日、私は道東の屈斜路湖畔で行われたパヨカカムイエピルに参加してきた。

エピルを行っても、その瞬間から状況が劇的に変わるわけではない。

その時にどんなに祈っても、その時だけでは何も変わらない。

私たち人間は、こうした試練を通じ、日々たくさんの思いをくぐり抜け、想像力を働かせて思考、実践することを求められている。

縄文以来大切に引き継がれてきた共生と循環の思想は、現代のような時代だからこそ深い意味を持つ。

今こそ、私たち一人ひとりが伝染病とも真剣に向き合い、考えるべきではないか。

そして、それぞれができることから小さな実践を重ねてゆく。

その地道な歩みにこそ意味があると、私はそう考えている。

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今日はだいたいこういう話をしてきた。

私はアイヌ文化について現在進行形で勉強しているが、

人に教えられるようなことは何一つとして持ち合わせていない。

だから、知識を教えるつもりで話してきたのではない。

アイヌ民族に伝える言語、儀式、手工芸、芸能、食文化などに底流している精神性についても、

感じ方、考え方は人それぞれである。

今日は私の感じていることを話してきたが、これが正解だとは思っていない。

たぶん、正解などどこにもない。

だが、

私なりに言語を学び、様々な儀式に参加し、その食文化、歌や踊り、手工芸などを体感することによって、私なりに感じてきたことがある。

私だけではない。

誰であれ、多かれ少なかれ感じていること、思うことが必ずある。

その思いを互いに大切にし合いたいという思いで、今日は話してきた。

先人が大切に守り育んできたものを、

過去のこととして今の私たちの生活から切り離してしまっていいものだろうか。

単なる知識として、書物、博物館の中に押し込めてしまってはいけないと私は思う。

アイヌ文化に限らず、

その精神を学ぶことによって、

いかにして時代に左右されない普遍的なものを感じ取り、

より心豊かに生きることができるか。

その意味で、縄文以来、独自の文化を育んできた北海道の価値を今一度見直すべきと思っている。

道民一人ひとりがこの大地に感謝し、誇りを持ち、生き生きと暮らす未来を思い描いている。