今月に入ってから、持ち株の運用成績が比較的好調でいる。
私の株式投資は、
一か八かの博打は打たない。
とにかく市場に生き残ることを目的にしている。
何がどう転んでも大丈夫なように、世界の市場に薄く広く資金を散りばめているのだが、
思うようにならないことが多いと、焦りや不安が頭をもたげてくる。
比較的調子のいい今は、久々に明るい気持ちになっているが、
調子が悪い時の方が学ぶことが多いのも事実である。
調子が良くても悪くても、今の私は、投資そのものが好きらしい。
だからこそ市場に生き残ることが目的となる。
私は祖父からの刺激を受け、
子どもの頃から投資に興味を持っていた。
15年くらい前から毎月積み立てで投資信託を始めたが、
仕事が忙しくいつも疲れ切っていて、世界のニュースを見ようともしなかった。
子どもたちの教育費がかさむたびに取り崩していたので、まとまった金額になることもなかった。
ずっと忙しく、資金不足で投資したくてもできないでいたのだが、
2020年3月、公務員を早期退職することによって退職金を手にした。
生活に余裕がないため絶対に溶かしてはいけない大切なお金だが、
この退職金で私は少額の株を買い始めた。
少しずつ慣れていく。
一歩一歩踏みしめながら、
ゆっくりと、少しずつ、興味のあるところから順番に、資金を広く薄く散りばめていく。
実際に投資を始めてから、
私の中にも様々な変化が起き始めた。
まず、様々なニュースが自分に突き刺さってくるようになった。
どのニュースも他人事ではなくなった。
世界経済の大きなうねりをリアルに感じるようになり、毎日が俄然面白くなってきた。
興味関心がさらに広がる。夢が広がる。
もっと多くの資金を投入したくなるが、
生活資金には手をつけない。
どんなことがあっても余裕資金の一部しか投資に回さない。
いつ何が起きるかわからないから、手元にもある程度残しておく必要もある。
一か八かの賭けに出るようなことは絶対にしない。
繰り返すが、私の投資目的は長くマーケットに留まり続けることである。
そこに長く居続けるだけで、たくさんの刺激を受け、学び、成長することができる。
私は「負けない投資家」になりたいと思っている。
公務員を退職してからは、主に観光の世界で働いていくつもりでいたが、
コロナ禍により、当初考えていた仕事はまったくといいほどできていない。
だが、その中でも生活費を稼がなくてはならない。
目の前の仕事の予定が次々と消えていく中、
気がついたら、私は投資の世界にのめり込んでいた。
元々コロナがあってもなくても投資をするつもりでいたし、
投資はこれからも私の一部であり続けるだろうが、
今のように深く投資と向き合うことになるとは思っていなかった。
やってみて気づいたことがたくさんある。
お金のことについてそこそこ知ってるつもりでいたが、全然わかっていなかった。
ピケティの「r(資本)>g(労働)」についても、頭では理解していたつもりだったが、
実際にお金の動きを体感していると、見えてくる景色がこれまでとは違ってくる。
私は、投資はこれからの時代、絶対に必要なものだと思っている。
投資をするしないは個人の自由だが、
これからの時代を生きていくためには、投資をしないもいう選択肢は、、私にはない。
100歳まで、いや、死ぬまで働くつもりでいても、
いつ働けなくなるかわからない。
いくら元気でやる気満々でいても、どこも雇ってくれなくなるかもしれない。
突然病気や怪我で働けなくなるかもしれない。
それでも生きていくためにはお金が必要なのだ。
その時にどんな社会保障制度があるかわからない。
そうしたものに頼らなくとも、
何がどうなろうとも、自分で生活を守れるだけのものを作る必要がある。
それが自立だと思う。
一生懸命働いて蓄えを作るのもいいが、
いくら貯めたら安心できるだろうか。
仮に1億貯めたとしても、
働けなくなった瞬間からその1億は減り続けるしかない。
たぶん不安になるだろう。
いくらあっても、減る一方というのは不安だ。
物価も今とは変わっているはずだ。
1億あっても何年持つか見当もつかない。
1億を作るにしても、労働だけで作れるものだろうか。
そう考えると、
投資をしないという選択肢は、今の私にはない。
多くの投資家は、焦って勝ちを掴みに行く。
だが、負けなければそこに居続けることができる。
居続けることができれば、そこで自分も資本もそれなりに成長できているだろう。
気がついたらお金が自動的に働くようになり、
働かなくとも、配当や企業が成長することによって不労所得を得るようになるだろう。
お金の価値は一定ではない。
今は全世界的な金融緩和政策でお金の量が増えている。
お金の量が増えれば、その相対的価値は低くなる。
まさに今、インフレ(物価上昇)が懸念されている。
生活を守るために、
財産を外貨、株式、不動産、原油、金、大豆やコーンなどに分散して保有することは当然のことである。
私は生活が楽ではないので、生活を守るため、つまり、稼ぐために投資をしているが、
それだけではない。
同時に長期的な視点で自分自身にも投資をしている。
世界経済の動きを注視し、学ぶことはただではない。
そこに時間をかけることも投資だと思っている。
お金について学び、世界経済のうねりを体感することに、私は価値を感じている。
今のようなグローバルな資本主義経済の中におかれている以上、
この中で、自分の力で泳いでいくしかない。
国も会社も、個人を守ってはくれない。
終身雇用や年功序列といった日本独自の企業文化はすでに過去のものとなっている。
私たちの意識自体、いまだに高度成長期の感覚から抜けきれていないところがあるが、
一人ひとりが少しずつ投資を始め、実際にお金の動きを体感し、学ぶことが「必要」であると思っている。
少子高齢化で縮小するしかないと言われている日本市場だが、
資本を有効に活用しようと考える投資家が増えれば、
日本経済にも新しい希望の光が見えてくると思っている。
同感です。投資することで視野が広がりましたし、FPの資格を取得するきっかけにもなりました。
日本では投資する方が珍しく、博打打ちのイメージを持たれることもありますが、これからは文化の違いで片づけられるような生易しいものではないと思っています。まず勉強しなければならない。少しでも経験するのが手っ取り早い。投資人口を増やしていきたいですね。