不思議に思っていることがある。

私たちの周りには公務員として行政組織で働いている人、かつて働いてきた人がたくさんいるが、彼らの存在感があまりにも薄い。

彼らは長年行政に携わってきたのだから、様々な経験をしてきている。

個別の政策はもとより、この国全体の舵取りについてもそれぞれ思うところがあるはずだが、

まったくと言っていいほど彼らから声が聞こえてこない。

とても不思議で、非常にもったいないことだと思う。

誰も口にしないが、この国は、

「公務員は自分の意見を言わない方がいい。」というムードに支配されている。

何故か。

その方が権力者、支配する側に都合がいいからだ。

個人情報の保護だとか、守秘義務だとか、

もっともらしいことを理由に黙らされているが、

ほとんどの場合、それらを隠れ蓑にして問題を先送りしているだけである。

要するに、

行政経験者が事実や個別の意見を自由に語り出すと、権力者としては都合が悪いのだ。

ある意味において、それはそれでわからないでもない。

だが、私たちが今優先すべきは権力者の都合なんかじゃない。

そんなことよりも、

私たちは国の将来を見据え、あるべき姿を模索していかねばならない。

この国の現状は非常に危機的であり、一刻の猶予もない。

社会全体で、未来を見据えながら実際に動き出さねばならないのだ。

そのためには社会全体で情報を共有し、建設的な意見を吸い上げていく土壌が必要である。

それこそが公共の利益の最大化を目的としている行政、公務員の使命であるはずだ。

ところが情報は開示されない。

知りたいところが知らされない。

開示申請しても大事なところは黒塗りで、質問してもとぼけるばかりである。

守秘義務や個人情報の保護を盾(言い訳)に、オープンにしない。

何故か。

大半の情報は開示しても問題ないが、同じレベルで開示していくと、

(支配する側にとって)都合の悪いことが出てしまう可能性があるからである。

結果として、ほとんどの情報は開示されない。

開示することによって社会が混乱することを考えると、伏せるしかないと言うのもわかる。

まるで伏魔殿である。

実際、本当にオープンにしてしまうとめちゃめちゃになってしまうだろう。

だから今のように伏せるしかないのだが、

繰り返すが、

これはすべて支配している側の都合なのだ。

大切なことは、

行政を支配者の手から私たちに取り戻すことにある。

喧嘩をして無理やり取り上げる必要はない。

徐々に距離を詰めていけばいいし、その方が現実的だ。

そのためには、公務員や元公務員が少しずつでも、できるところから意見を述べていくべきと思うのだ。

特に現職の公務員が本音を語るようになれば、社会のムードは一変する。

そうなれば、徐々に行政組織への不信も解消されていくだろう。

内部から建設的な仕事ができるとなれば、再び行政に優秀な人材が集まるようになる。

組織に蔓延っている不当な圧力から自由を取り戻し、

一人ひとりの公務員から一国民としての意見が出てくるように仕向けていきたい。

目指すところは現職の公務員からの自由な発信だが、現状は退職者の方が比較的語りやすい。

私のような元公務員が語ることにより、

現職公務員の自由度を高める流れを作り出していきたい。

公務員は公務員である前に一人の国民であり、自由や思考や行動ができなくなっていてはいけないのだ。

公共の利益を追求する立場であるならば、自身を含め、誰一人として犠牲を作ってはいけない。

致死レベルの長時間労働を文句も言わずに平然と続けるのは立派なことなんかじゃない。

守秘義務を理由に個人的な意見を表明しようとしない態度も、

公共の利益に反する行為であると言わざるを得ない。

公務員が長時間労働しているのだから、民間もそうするのが当たり前だとか、

知識や経験が豊富な公務員が発言しないようなことを一般人が口にするものではないとか、

そういった間違った意識が社会に流れてしまっている。

今の行政を疑いの目で見ている人は多い。

制度疲労が極限に達し、まともに機能できていない。

とっくの前から期待されていない。

だから人材が集まらない。

組織としても個人としても、ひたすら保身に走るばかりで、

時間、お金、マンパワーを無駄に消耗するばかりで、いつまで経っても前に進まない。

今の行政は、外部からの攻撃を恐れてすっかりハリネズミモードになっている。

疑念の目を向ければ向けるほど、叩けば叩くほど、

余計に言い訳ばかりで秘密主義に傾いてしまっている。

私たちの目的は分断を深めて延々と争うことなどではない。

そんなことをしているヒマはどこにもない。

敵と味方に分かれて争うことが最速ならそれもありかもしれないが、

勝ち負け目線でいるうちは、目指すべき姿は近づいてこないと思う。

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私自身も、

政治的にも限りなく無色透明であり続けることが公務員のあるべき姿だという、不当で強力な圧力の中で27年間働いてきた。

思っていることがあっても言わないできた。

黙して語らず。

あたかもそれが美徳であるかのようなムードに支配されてきた。

自分の言いたいことが言えない。

とても悲しいことだ。

私個人が好き勝手なことを言えればそれでいいということではない。

閉塞したムードが社会全体を覆っていて、

その流れを変えることができないでいることが何より辛い。

一体、この圧力が幅を利かすことによってどのような社会的なメリットがあると言うのか。

これからもこのままでいいのだろうか。

この国をよくしようと思うなら、

公務員や元公務員の知識や経験をもっと社会全体で共有すべきだとは思わないのか。

公務員が一人の国民として発言することは本来当たり前のことであり、

常に無色透明であり続けることが公務員のあるべき姿なのではない。

公務員に限らず、私たちは当事者なのである。

それぞれが可能な範囲でできるだけ思っていることを話す。これは必要なことだ。

個人が意見を表明していくことは必要なことなのだ。

公務員は率先してその姿勢を示さないといけない。

意見を言うことは文句とは違う。

溜め込んでいたものを吐き出すような言い方ばかりが意見なのではない。

不健康に溜め込むから文句みたいになってしまう。

せめて、目の前で起きていることに一人ひとりがきちんと向き合うだけでもいい。

そこを起点として、

まず自分の意見を持つこと。

そして当事者として、普段から意見を少しずつでも表明していくこと。

今のままでは、

問題点やチャンスの芽があっても、それらが社会一般に共有されない。

当然に、これからの方向性についての議論が深まらない。

公務員の方、元公務員の方、もっと気軽に思っていることを喋りませんか?