さっきまで夢を見ていた。はっきりと覚えている。

私はたぶん小学生。まだ子どもなのだが何故か息子がいて、参観日に息子が私の学校に来ていた。

まだ2歳か3歳くらいの息子は普段から大切にしているおもちゃを学校に持ち込んでいた。

その手に握っていたのは、ガチャガチャのカプセル。

息子はプロ野球選手のミニフィギュアの入ったガチャガチャのカプセルが好きで、

ずいぶん前に買ったカプセルを大切に持ち歩いていた。

初めて見る学校に興味深々の息子。

私の机にカプセルを置いてあちこち歩き回っていると、

担任の先生が私の机に置かれているカプセルを見つけてゴミ箱に捨ててしまう。

私はすぐにゴミ箱からカプセルを見つけ出すことができたのだが、

先生は私から無理やりカプセルを取り上げ、またどこかに捨ててしまった。

私はまた探し出せばいいくらいに思っていたのだが、

いくら探しても見つからない。

先生に談判しようとするのだが、先生は話も聞こうとしない。

さらに探し続けるが、カプセルは見つからない。

クラスの仲間数人がカプセル探しを手伝ってくれるのだが、

カプセルの中にフィギュアと一緒に入っているカタログを探す過程で、

私が描いてきたたくさんの絵が仲間たちの目に触れることになる。

おそらく仲間たちは何とも思っていないのだが、

私はそれらの絵を人に見られるのがすごく嫌だった。

自分で見るのも嫌な絵なのだ。

私が嫌がっていることに何人かの仲間が気づいたようで、

それがまた嫌な感じがした。

と、ここで目が覚めた。

似たようなことは実際にあった。

私が小学生の時、参観日に弟が私の机の上でミニカー遊びをしていたことがある。

私が大切にしていたものを母親に捨てられ、自分で探しだしたことが何度かあった。

だいたいは自分で見つけ出すことができたのだが、

理由も聞かずに人が大切にしているものを捨てる人が嫌いだった。

それから、

私はよく絵を描いたりしていたのだが、

そこにはどこか屈折した自分が現れているようで、

自分のそうしたところを人に見られるのを極度に嫌っていた時期があった。

そんな記憶や心理が、今回の夢には現れていたように思う。

そして、

ついさっきまでやり切れない思いが私の中に渦巻いていた。

今の私はそうした感情を乗り越えていると思い込んでいるが、

おそらくこの感情は、今も私の中にあるのだろう。

最後にオマケ「亀の思い出」。