我が心の故郷、武蔵関の丸忠

午後2時頃、ガラガラの西武新宿線で武蔵関に向かう。

各駅停車田無行き。車両の色は昔と違うがどの駅も車内放送も変わっていない。

向かいの席に、

眩しい陽の光を浴びながら大きめの鞄を抱えた大学生が気持ちよさそうに寝ている。

30年前の私も同じようによく寝ていた。

目をつぶると陽の光の暖かさが余計に感じられ、タイムスリップしそうになる。

フワフワ心地好くて、音と揺れ具合から車外の景色が映像として頭に浮かんでくる。

しばしその音と映像を楽しむ。

そして、いつものように武蔵関で降りた。

ホームから階段、改札を抜けて北口へ進む。

いつもと同じリズムで、少しだけゆっくりめに周りの空気にとけ込むように、駅の外に出た。

北口階段を降りると右に曲がる。やはり体がそういう習性になっている。

並んでいる店は昔と違うが、基本的には何も変わっていないように感じる。

ホテルマリブを過ぎ、石神井川沿いの狭い道を東へ。

石神井川の北側の、かつてお世話になった関町商店街はすっかり変わってしまっている。

酒屋も中華料理屋も焼鳥屋もレンタルビデオ屋もクリーニング屋もない。

かろうじて昔のままなのは、理容店のみ。

新青梅街道沿いにあるかつて住んでいた寮を見届けると、今通ってきたのとは違うルートで武蔵関駅に戻る。

30年前によく行った小さなラーメン屋も弁当屋も個人経営のコンビニも今は無い。

石神井川沿いに西へ。

本立寺前の踏切を渡り、線路の南側の商店街を歩く。

基本的に変わっていない。

一通り見たので、駅の東側踏切からもう一度、線路の北側の商店街に出る。

私は今回、

学生時代からお世話になっている丸忠のおやじさんに会うためにここにきたのだ。

おやじさんは昭和11年生まれの85歳。

不整脈の持病があり、コロナが流行り出してからは店を開けておらず、

看板も外しているのだが、懐かしい番号に電話するとすぐに中に入れてくれた。

思っていた以上に元気で、昔と変わらぬマシンガントーク(笑)

店内が昔と何も変わっていない。

聞けば「体力に自信がないから無理」と言うが、

いつでも昔のようにできるようにしておきたいのだろう。

2人きりで、昔話に花が咲く。

おやじさんは、北海寮の数々の伝説について寮生よりも知っているかもしれない。

かつての寮生一人ひとりについて、誰がどこでどんな仕事をしているか、誰よりも知っている。

今も情報をアップデートすることを楽しんでいて、現役の学生だけでなく、私たちのような古いOBと話すことをも楽しみに、この場所を守ってくれている。

瓶の底に残る電氣ブランで乾杯すると、

おやじさんは自らの生い立ちや若い時から今に至るまでの色んなことを、

あらためて、

いつものマシンガントークで話してくれた。

店内に置いてある古い雑記帳を開くと、

30年前のことを思い出し、2人で笑いが止まらなくなる。

ヒートアップしたおやじさんは、近所で惣菜を買い漁り、

食べながら、さらに喋る(笑)

なんの変哲もない平凡な惣菜なのだが、おやじさんの作るニラ玉やモツ煮込みの味がした。

株の話もかなり熱い。

「株主なら株主総会に参加すべき」と強く勧められ、そのたびにここで会う約束をしてきた。

おやじさん、また来ます!

2件のコメント

  1. 最後の一枚の写真が、どれだけ良い時間だったか、全てを語っていますね笑
    そういう場所があることが羨ましいです♪

    • おやじさんは、10年前に死んだ私の父と同い年。32年前からずっと見ていてくれた大切な恩人です。感謝しかありません。

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