76年前の今日、1945年3月10日に東京大空襲があった。
当時のことを色々調べていたら、くたくたに疲れてしまった。
毎年この時期になると何かしらの調べ物をしているのだが、初めて知ることも少なくない。
薄々想像していたことだとしても、見つけてしまうとやはりショックである。
ここ数年は、児童相談所での勤務がきっかけとなり、
戦災孤児のことについて調べることが多くなっている。
空襲で家族を失い、放浪生活をしていた数十万の子どもたち。
いかに過酷な状況、体験であったか、
その後の人生をどう生きてきたのか、
私たちが当時のことを考えるにしても、無数の視点、切り口があると思うが、
今、私は、
あの時の孤児たちが親となり、
子どもを持った時に、
何を感じ、何を考えてきたのか、
結果として次世代に何を伝え残してきたかについて考えている。
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戦争について言葉で直接伝えようとする人がいれば、一切語らない人もいる。
語らない人の方がずっと多かったと思う。
だが、語らなければ何も伝わらないというものでもない。
子どもはいつも大人を見ている。
そして、たくさんのことを感じ取っている。
戦災孤児たちは、
大人になってからも強烈なトラウマを抱えながら生きてきたに違いない。
記憶を閉じ込めて忘れようとしてきた人も多い。
だが、どんなに忘れようとしても、
不意に自分の子どもの頃を思い出してしまうこともあっただろう。
頭の中が真っ白になってしまい、普段の冷静さを保てなくなってしまう人もいたはずだ。
パニックになってしまい、どうしたらいいかわからず、
無意識のうちに破壊的な行動をしてしまった人もいただろう。
こうしたことはほとんど記録には残っていないが、
かなりあったのは間違いない。
誰も責めることはできない。
そんなことを指摘しても仕方がないのだから、今さら何も言うべきではないと考える人が多いことも知っている。
だが、私は着目すべきは別のところにあると思っている。
私が着目しているのは、
戦災孤児たちから、戦後生まれの人たちに、結果として何が伝わっているのかと言うことである。
直接戦争を知らない私たちにも、
戦争の残像が心と体に刻み込まれている。
戦争を通り抜けてきた人たちがんなにとぼけて知らないふりをしていても、
子どもたちは大人たちから過去を読み取っていく。
何を不安に感じているのか。
食べ物や物、お金をどのように見ているのか。
子どもたちは、大人の姿を見ている。
大人の姿を見て、不安になる子どももいる。
不安な上、どうしたらいいかわからず、
無意識のうちに親と同じことをしてしまう子どもも大勢いる。
児童心理について考えていくと、
戦争のことを避けて通ることはできないと思うのだ。
今の私は、ちょっと疲れてしまっている。
いちいちこんな風に疲れてしまうのもどうかと思うが、仕方がない。
今は圧倒されてしまって何も考えられなくなっているが、
子どもの頃に読んだ早乙女勝元さんの絵本をぼんやりと思い出している。
もう眠い。
夢の中で今日受けとめてきた刺激を反芻するのだと思う。