今の私は、何が起きても何をされても怒ることがない。

要は怒っても仕方ないと思っている。

見せても聞かせても気づかないなら、

怒っても伝わるはずがないのだ。

それどころか関係が必要以上にややこしいことになるので、

怒ることにエネルギーを使うだけ無駄と思っている。

それ以前に、

そもそも自分が正しくて誰かが間違っていると思っているわけじゃない。

人それぞれ考え方が違うのだから別にどうでもいいのだ。

例えば、

人からバカだアホだと言われたところで、

私が変わるわけではない。

何と言われようと、

私は私であり、

私の事情の中で生きてきたし、これからも私の事情で生きていくことに変わりはない。

今の私がバカならバカでけっこう。

誰からなんと言われようと、私の生き方は変わりようがないのだから。

ただ、面倒くさいと思うことはある。

人がどうあろうと、何を言われようと全然構わないのだが、巻き込まれるのはほどほどにしたい。

つまらないことに貴重な時間を費やすのはあまり楽しいことではない。

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人のことを好きになったり嫌いになるというのは、実に面白いと思う。

人の好き嫌いは波長だと思う。

波長が合えばそばにいるだけで心地よいし、

波長が違うとその存在を近くに感じるだけで落ち着かなくなる。

以前は波長が合っていたのに、少しずつズレを感じるようになることもある。

人間も誰一人として同じ場所に留まり続けることはできない。

考えることだけでなく居場所も変化していく。

私も進むべきところに進むことになる。

別に進まなくてもいいのだが、

今の私は進みたい。進むしかない流れの中にある。

実際、少しずつ居場所が変わり、景色も違ってきている。

居場所が変わると、人の見え方も変わる。

見慣れていたはずの人の、

今まで見えていなかった横顔が見えてきたりもする。

見えているだけでなく、

その横顔が、

私に対して今までとは違う何かしらの反応を見せることもある。

波長が変わる。

そこから関係と距離感が変わる。

ここで、

私も人間なので様々な感情が去来するが、

どれも自然なこととして受けとめている。

友人だけでなく、親や妹であっても同じこと。

誰であれ、波長が違っているなら無理はしないことだ。

知っているからこそ、

横顔を見たくないこともあるのだから。

それは感情に過ぎないのだが、

感情があるから、

人生という限られた時間の中で、

古い縁から抜け出して、新しい縁を見つけて進むこともできる。

感情を受けとめ、利用するところは利用するが、

私は感情に振り回されるつもりはない。

だから、

関係が変わっても、その人への思いは1mmも変わらない。

この気持ちが気づかれなくても私は構わない。

どうせ死んだらみんな元のところに戻るのだから、

今はわからなくても心配していない。

波長が違うのは、たいしたことではない。

それぞれの歩く方向、速度、その時置かれている環境などで常に変わるのだから、

いつもいつも波長が合うということは、あり得ないはずだ。

だから波長が違うのは悪いことなんかじゃない。

ただ、

互いの波長を読み合えるようになることもある。

だから、執着してるわけではないが、

わざと感情を表に出したりして、

少し散りばめてみることもある。

あわよくば、ともに乗り越えて行けたらと思うこともある。

そんな関係を築いていくのも楽しいと思う。