私は2年ほど前から母親と会っていない。

理由はシンプルで、

無理をしないようにしているから、である。

これだけなのだが、

こう書いてもピンとこなかったり、誤解されることもあると思う。

説明しようとすると疲れるので、今日は書けることだけ書いてみるが、

まず、

無理をしないというのは、別に母親に限ったことではない。

結果として長く母親と会っていないが、「もう会わない。」などと心に決めているわけでもない。

何度かブログに書いてきたが、私の母親は毒親である。

こう書くと、

「親のことをそんな風に言うなんて酷い。」などと思う人もいると思う。

だが、事実は事実だし、

ここを無理に避けていると、私の思考や行動が著しく制限されることになる。

そこから目を背けることは、

不自然かつ不誠実な生き方であり、巡り巡って命を授けてくれた親にも申し訳なくなる。

だから、私自身の心のあり方をたしかめつつ、

流れの中で、自ずと母親のことも書いたり話したりすることになる。

私の場合、

怒りや恨みのような感情が心の中で渦巻いているうちは言葉が外側に出ていかない。

実際、「私の母親は毒親。」などと言うようになったのはつい最近である。

心の奥底に渦巻く感情に蓋をしたまま、約50年、どうにかこうにかやってきた。

ずっと封印してきたから、

根っこを直視できるかどうか不安もあったが、

私の場合、

ここ数年の、身の周りで起きている様々な出来事を振り返ってみると、

最後まで封印したままでは逃げ切れない運命にあるようである。

だから、

意外にもスムーズに、冷静に、様々なことを受けとめることができていて、

むしろこれから先の自分が楽しみでさえある。

時間の経過とともに、少しずつだが私にも力が湧いてきている。

毒親の呪縛から自立していくためには、相応のエネルギーを必要とするが、

自立が進んでいるからこそ、今こうして書けている。

私の中に怒りや恨みの感情が渦巻いている状態ではこのように書くことはできない。

毒親など珍しいものでもないし、

毒親を乗り越えて自分の人生を生きることも、特別に難しいこととは思っていないが、

私の場合はけっこうな時間がかかる。

幼少期からずっと、50年も封印してきたのだから当然かもしれない。

私は確実に変わりつつあるが、

身近な人の中にも、私の変化に気づいていない人もいる。

だから、

多少の時間や手間がかかるのは仕方がないのだが、

私は前に進まないといけない。

いつまでも昔と同じ場所に囚われ続けているわけにもいかない。

だから、諦めるところは諦めるようにしている。