夢の中で再会

10時間くらい爆睡した。こんなに寝たのはいつ以来だろう。

寝るというのも体力が必要で、私も若い頃はよく寝ていた。

さっきまで、内容の濃い夢を見ていた。

夢の大半は忘れてしまったが、ところどころ思い出すことができる。

夢の中で私は、

今まで出会ってきた何人かの里子たちと並んで話をしていた。

その中に、

幼少期に実親と離れ、里親さんに大切に育てられてきた大人もいた。

成長したからこそ、言葉になることもあるのだろう。

彼はこれまでのことをゆっくり話してくれた。

言葉だけでなく、目で私に話してもくれた。

私は、

児童相談所に勤めていたこともあり、

困っている子どもたちがたくさんいることを、

知識としてだけでなく、肌で感じ続けてきた。

子どもたちと気持ちを共有できたような気がした瞬間が何度かあるが、

そのたびに己の無力さを痛感してきた。

今までも、これからも、私にできることなどほとんどないだろう。

その事実を受けとめることも必要なのかもしれない。

だが、

夢の中で、

何人かの子どもたちが私に近づいてきて、話をしてくれた。

今の私はどうしたらいいのかわからないが、

近寄ってきてくれたのが嬉しい。

今はこのまま受けとめていようと思う。

児童相談所で働いている時、

私は目の前で起きていることをどう受けとめたらいいのかわからないでいた。

いつも容量オーバーで、疲れ果ててしまっていた。

そこのところは公務員を退職して10ヶ月経った今も同じである。

私の場合、

幼少期に見てきたものが今も引っ掛かっている。

トラウマのようなものは誰にでもある。

私だけが特別だなどとは思っていないが、

私は私で、色々なことを抱えながら生きている。

良くも悪くもなく、これが現実だと思っている。

だから、誰も悪いと思っていない。

思っていないが、

「辛い」と感じてしまう。

そのこと自体良くも悪くもないが、辛いものは辛い。

今の私は、

「辛くなどない。」と思い込もうとしてきた頃より、一歩前進していると思っている。

これまで感情に蓋をして生きてきたが、

根っこの自分に少しずつ目をかけることを始めている。

空元気や理屈をこねることで奥深くに封印してきたものと、ようやく向き合い始めている。

そんな私を見て、

夢の中で里子たちが集まってきてくれたような気がしている。

里子たちは、

私と同じではないが、根っこのところで同じところがあるようである。

これは個々の問題であるようでいて、

普段ほとんどの人は気づいていないだけで、

全ての生き物に時空を超えて共通に流れているもののような気がしている。

親子関係に限った話ではなく、

無数の命は、

その時その時、置かれている環境の中で生きるしかない。

それを悲しいことだと言いたい訳じゃない。

どのような現実であれ、いかにして今を生きるか。

力みなく素直に向き合い、歩いていけるか。

根っこの感情に蓋をしている人の姿を思い浮かべるだけで辛くなる自分がいるが、

そこも乗り越えていけると思っている。

私の挑戦は始まったばかり。

恵まれているとかいないとか、実はあまり関係がないと私は思っている。

今、この文章を書きながら、

夢の中の子どもたちが今も私のすぐ近くにいるのだけど、だんだん見えずらく、声も聞こえずらくなっていく。

私も今置かれている環境の中で生きている。

たくさんのことを抱えながら生きている。

この体で受けとめることができるのは、ほんの少しでしかないが、

この現実を受けとめながら生きていこうと思う。

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