もしかして、と思って調べてみると、やはり2月13日は「NISA(ニーサ)の日」であった。

NISAとは、

株式や投資信託における売却益や配当収入を非課税とする、日本における少額投資非課税制度。

2014年に創設され、国をあげて投資を推奨しているが、日本では諸外国に比べ投資をする人が少ない。

日本には貯金をよしとする文化がある。

明治政府の富国強兵政策では働いたお金を郵便局に預けることが推奨され、

戦後の高度成長期においても銀行に貯金することがよしとされてきた。

とどめは平成バブルの崩壊。

この時に投資は博打であり、よくないものという思い込みが日本人の脳裏に強く刷り込まれた。

「貯金は美しく、投資は汚い。」

こうした価値観が日本的とされ、今も根強く流れている。

外国とは文化が違うため単純な比較はできないが、

日本と比べ、欧米は投資に回る割合が高い。アメリカはほぼ半分が投資に回っている。

一方、日本では投資する人はごくわずか。金額も10%ほどでしかない。

金融の仕組みを十分に理解した上で、選択的にこうした割合になっているなら問題はないのだが、

日本の場合は、マネーリテラシーが低いことが原因と指摘されている。

日本人はお金について学ぶ機会がなく、お金について考えること自体を避けるところがある。

お金は額に汗して稼ぐものであり、働きもせずにお金を増やすことは邪道とされ、

お金を稼ぐことに一種の罪悪感を感じている人さえいる。

だが、これは思い込みに過ぎない。

お金そのものは、美しいものでも汚いものでもない。

資本主義社会の中で生きている以上、お金は必要である。

お金は労働により稼ぐことができるが、それだけではない。

お金そのものが働くことによっても価値が生まれる。

今の日本では、ここのところがほとんど理解されていない。

人の一生を例にあげて考えてみると、

若い頃は肉体と頭脳を使って労働することによって社会に貢献し、対価を得ることができる。

だが、年を取ったら若い頃のようには体や頭は動かない。

そのために年を取ると生きる価値がないと考える人がいたりするが、

体や頭が動かなくても、投資で社会に貢献することができる。

投資を金儲けの手段としか思っていない人もいるが、投資は紛れもなく社会貢献である。

投資家は結果的に儲けているが、金儲けをするために投資しているのではないことに気づくべきである。

本来お金は個人が抱え込んだり寝かせておくものではなく、常に働かせるべきものである。

配置すべきところに配置することによって価値を産み、その相乗効果が社会に波及する。

日本は、

高度成長期に若い労働力で多くの価値を創出してきたが、

年を取るとともに、労働による価値の創出が困難になっている。

これは当たり前のことである。

60歳になれば、いくら根性を振り絞っても、20歳の時と同じことはできない。

日本人は労働することと同時に投資をすべきだったが、今まではしてこなかった。

そのツケが今の閉塞感に繋がっている。

だが、まだチャンスはある。

国内には、2,000兆円とも言われる眠ったままのお金がある。

このうちの一部でも市場に入ってきたら、

国内経済の流れは確実に変わってくる。

今の政府が展開している大規模な金融緩和政策は、

国民が投資しやすい環境を作ることを目的としているのであり、

NISAやiDeCoはそのためにある。

そこに気づいた人から投資を始めている。

今は、労働だけでは生活費を確保できない。

これは時代である。

今は戦後の高度成長期とは違う。

身を粉にして働くだけでは生活を守れない。

個人として、労働以外の形でも社会貢献し続けるためにも、

家族の生活を守るためにも、

少子高齢化で瀕死となっている国内経済のためにも、

私たちは、

お金について正しく理解し、投資することが必要な局面に立たされている。

2月13日のNISAの日をきっかけに、そうしたことに思いを巡らせてみるのもいいのではないか。