新型コロナウイルス対応の改正特別措置法と改正感染症法が成立した。

これにより、時短命令に従わない飲食店や入院拒否者への過料が科せられることとなる。

さまざまな意見が噴出しているが、

飲食店については、

本来は補償を充実させるべきだが、政府にその考えはなさそうである。

よくわからないが、事情があってどうしても補償はできないのかもしれない。

補償をしないで命令に従わせるためには、過料を科すくらいしか方法がない。と、

要はそういうことなのだろう。

本当にそれしかないのかもしれないが、結局のところ実効性に乏しく、非常に貧しい発想だと思う。

過料を科したところで絶対的な強制力はない。

金さえ払えば時短命令に従わなくてもよいと考える店も出てくるかもしれない。

荒んだ考え方であるが、現実に一部の人の意識がそこにも流れている。

実際に罰則が適用される例は少なくなることが予想され、社会のムード作りが目的の感が否めない。

日本特有の同調圧力の高まりを期待し、情緒的に訴える手段に出たという印象が強い。

こう考えると、国民をバカにしていると受けとめる人も少なくないと思う。

たしかに、過料を科さないよりは、過料を科すことによって、命令に従わない店の数は減るだろう。

だが、今回の法改正で頭に浮かんでくるのは、

  • 過料の有無に関係なく時短命令に従うが、より不安と不満を膨らませている店
  • 本当は営業したいが過料を科せられるから仕方なく命令に従う店
  • 過料を科せられても命令に従わない店

こんなのばかりのような気がする。

こんなのが透けて見えてくると、飲食店を利用する側としてもシラけてくる。

社会全体がシラければ人の動きも減る。政府としてはそれでもいいのかもしれないが、どこを切り取ってみても、なんとも貧しい心の動きである。

入院拒否者についても、

今の保健所は罰則の適用に時間と労力を割ける状況にはなく、こちらも情緒的な訴え、国としてのアリバイ作りが目的のように感じてしまう。

そのうち悪質な事例を取り上げ、実際に罰則を適用することも考えられる。

わかりやすい例をいくつか晒し首にして、抑止力にしようというものである。

恐怖で個人の自由を抑え込もうとする発想そのものに批判が集中しているが、

結局、この改正法は成立した。

あらためてこの国の力不足を痛感し、失望している国民も多いのではないか。

だが私は、こうしたことは政府の指導力では解決できないと思っている。

いくら求めても望ましい現実を引き寄せることはできない。

文句も言いたくなるから、文句を言うが、

文句を言っても何も変わらないのだから、同時に発想そのものを切り替えていくことが必要になってくる。

今回の法改正は、

日本社会が国家権力に依存しすぎる体質から脱却していくためのスタート地点になりうると思っている。

国民は少しずつ国に期待しなくなる。それが国の狙いかもしれない。

国としては、

日本特有の同調圧力を利用し、権力による支配と管理を手放さず、その中で徐々に国の負担を軽くしていく。

そうした流れが少しずつ見えてきているのではないか。

こうしたことを国民一人一人がどう受けとめるかが問われているような気がする。