日記系ブログに活路を見い出す

このブログには一切制約を設けず自由に書きたいことを書いている。

そのため、結果として日記的な要素もたぶんに含んでいる。

だが、日記系ブログはダメ出しされることが多い。

日記系ブログは、

友人知人以外にはほとんど誰にも読まれないし、そもそも読者にとって有益な情報ではないから、書くだけ無駄であるというのだ。

まあ、否定はしない。

だが私は、こうした考え方が支配的になるのは望ましいことではないと思っている。

本来、ブログはなんの制約も受けずに誰もが自由に書けるものである。

できるだけたくさんの人が、書きたいことを好きなように書けばいい。

そのためには、誰もが希望を持ちながら気持ちよく書ける環境であることが望ましい。

もちろん現実的には様々な制約があるが、私は可能な限り自由なものであるべきだと思っている。

こんなことはあまり言いたくないのだが、

既に成功している人が、

新規参入者に市場の優位性を奪われたくないために、

「成功の秘訣」と称し、参入のハードルを上げているのではないかと思うこともある。

発信者の狙いがどうであれ、

結果として、「こうあるべき」、「こうであってはいけない」などの縛りがまかり通っているが、こうしたものは本当に必要だろうか。

制約を設けたり、やたらとハードルを上げるような意識を広めてしまうのは、

最終的には、誰にとっても不利益なことになってしまうと私は思う。

他者の経験談や意見は貴重であり、参考にすべきだが、鵜呑みにしてしまってはいけない。

ブログには、可能な限り素直に自由に、飽くまでも個人としての思いをのせていく。

それが本筋だと思う。

成功パターンは無数にある。今までできていないことでも、これからいくらでも作り出せる。

実際、成功者を見ていてもその道程は様々である。

成功者が千人いれば、千通りの成功法がある。

「読者目線が必要」と言えば聞こえが良く、たしかにそのとおりでもあるのだが、

書き手の情熱というか、何かしらの人間的な熱量の伝わらないブログには、私は魅力を感じない。

読者目線を意識するあまり書き手の熱量が後退してしまうのは本末転倒だと思っている。

やみくもに読者目線を追求してしまうと、途端に書けなくなるブロガーが出てくると思う。

それは、権威の前に屈してしまうことを意味する。

私は、このようにして諦めてしまう人がいることを自分とは関係ないことだと思っていない。

権威に縛られず、

つまらないことに心折れたりせず、

自己を表現することによって個人的に成長できる道が、広く一般に開かれていくことを望んでいる。

自分でコントロールできるのは自分だけであり、他者はどうすることもできない。

だが、自分さえ良ければそれでいいとは思っていない。

諦めずに小さな実践を積み重ねていくことによって、誰もが気楽に素直に自由に発言できる環境を作っていく。

そういう意識を持ち続けていきたい。

私のブログは手抜きはしないが、あまり必要がないと思うところには力を注がない。

高機能のテーマを使い、カスタマイズに時間と労力をかけるのも悪くないが、

私の場合は、少し違うところに力点をおいている。

優位に立つために高いクオリティを身にまとうことよりも、

気軽さ、手軽さを大切にしたい。

誰でもほんの少しだけその気になれば、いつでも手軽に発信することができる。

そのことを伝えていきたい。

50を過ぎたオッサンでもいつでも簡単に発信できる。

できるだけ多くの人に、特に中高年以上の人に、自己を表現して欲しいと思っている。

様々なことを経験してきた中高年の知識や経験が広く共有されていく社会でありたい。

それぞれが個人的な生きがいを追求するだけでなく、

私たちも、次世代の若い人たちに伝えていかねばならないことがある。

これからの時代、自己表現は必須なのだ。

黙して語らないままでは、大切な責務を果たせなくなってしまう。

成功できるかできないかにフォーカスし過ぎてしまうのは危険である。

自分なりのやり方を貫いた先に、自然と結果がついてくる。

日記ブログに価値がないと決めつけるのは間違っている。

これからは日記系ブログにも可能性があると確信している。

日記ブログを書きたいと思っている人は多い。

そうした人たちが希望を持てるような流れが出来てきたら、面白いことになると思っている。

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