いよいよ新型コロナウイルスのワクチン接種が身近な問題として切迫してきた。

私はワクチンなど打ちたくない。

理由は単純。

その効果と安全性がよくわからないまま、一か八かの接種などできるはずがないからだ。

体内に異物を入れることに慎重になるのは当たり前のことである。

現役医師の38.8%が接種したくないと言っている。

何故か。

ワクチン接種を希望している人は、その効果と安全性を本当に理解し、納得できているのだろうか。

なんとなく雰囲気に流されている人が大半のような気がするが、中には納得している人もいるはずである。

私は、納得している人の理屈を聞きたい。

ワクチンはおかしいと主張したいのではない。

私は専門家でもないからワクチンのことなどわからない。

納得できている人の話を聞いたことがないから聞きたいだけだ。

それが聞けたら、

さらに納得する人が増えて、ワクチン接種率を向上できるはずだが、

それがないのは何故なのか。

国としても、

本当に効果があると考えていて、本格的に接種率を上げたいと考えているのなら、もっとはっきりとアナウンスしたらいいと思うのだが、

そうしないと言うことは、できない理由があるのではないかと勘ぐってしまう。

ワクチンの効果の一つに感染率の低減があるが、ここを正しく理解している人はどれくらいいるだろうか。

「90%の有効性」と聞いても、それだけでは具体的にどういうことなのかわからない。

今、国内でもっとも感染リスクが高い地域とされている東京の新宿区の感染率は65人に1人、約1.5%。

新宿区民からランダムに10,000人抽出すると150人ほどが新型コロナに感染している計算になるが、

90%の有効性があるとされるワクチンをこの10,000人に接種させていたら、

1.5%の感染率を1.35%低減させ、0.15%にまで下げていたと推計されるという。

感染者を150人から15人に、135人減らすことが期待できるというのだ。

これが「90%の有効性」である。

安全性については、急ピッチで開発されてきたこともありデータがほとんどない。

副作用が発生する頻度や重篤化する確率についても何もわかっていない。

年齢、性別、民族、その他諸々の要因がどう作用するかも何も知らされていない。

国や自治体としては感染者数をできるだけ抑えたい。

個人と言うより、全体数が問題なのだ。

その意味でワクチンはある程度有効であると言えるかもしれない。

だが、

接種する個人の視点から考えた場合、ワクチンを接種するメリットは、感染する確率を1.35%下げることくらいである。

たった1.35%である。

個人レベルで感染確率が90%下がるというのはそういうことなのだ。

感染率50%が5%になるとか、そういうイメージをしている人が多いと思うが、

現実はそんな劇的なものではない。

騒いでいる割に国内の新型コロナの感染率はそれほど高くない。

比較的リスクの高いとされる今の新宿区でさえ1.5%である。

ワクチンに期待される効果とは、

今の感染率を1.5%から0.15%に下げること。本当にこれだけなのである。

確率は下げてもゼロではない。自分が0.15%に該当する可能性もある。誰であれ感染する時には感染する。

また、ワクチンを接種すれば未知の副作用のリスクを負うことになるわけだが、

そのこともどれだけの人が理解しているだろうか。

こうした状況を理解し、心から納得して接種したいと考えている人がいるなら話を聞いてみたいと思うのだ。

大部分の人は、ワクチンの安全性は政府が責任をもってチェックしているから心配いらないと思い込んでおり、

接種が進めば、東京の1日2,000人の新規感染者が200人に減るだろうと単純に考えていると思う。

国の態度は、むしろ誤解を放置したまま急かすようにして国民に接種を強制する方向に傾いているようでもあり、

正直、とても怖ろしいことだと思っている。

私は某地方自治体の職員として保健や福祉の部署で長く仕事をしてきた。

感染症対策の担当者として予防接種などの接種率向上などにも努めてきたが、個人的にはけっこうな違和感を抱えながらその業務に当たっていた。

4年前に亡くなった二女が突然体調を崩したのは、子宮頸癌ワクチンを接種したことによる副作用だったのではないかと疑っている。

人間の体はとてもよくできていて、何十億年もの長い時間をかけて今のようにできている。

わざわざ異物を取り込まなくともバランスが取れる仕組みになっている。

異物を取り込む時には当然にリスクが生じることになる。

であれば、そのリスクに事前にしっかりと向き合う必要がある。

ワクチンの接種はどれも最後は自己責任となると思う。

自分や家族の命と健康は自分たちで守る。

ワクチン接種を急ぐ前に、

そうした意識が広く一般に浸透することが必要ではないだろうか。