自慢する人は損をしている

私の周りにもやたらと自慢する人がいる。

当人は自分が自慢しているとは思っていない。

だが、自覚がないだけでしっかりと自慢をしている。

「これは自慢ではない。」などと自分に都合のいい解釈をしながら自慢をしている。

自慢すると嫌われるということは一応知っているので、

「自分は自慢などしていない。」と思い込むことによって辛うじてバランスを保っている。

その危うさが透けて見えるから、周りも扱いに気を使う。

言葉を選ばずに言うと、要するにウザい。

いくら自分に都合のよい解釈をしてみたところで自慢は自慢である。

ウザがられているのである。

自慢かどうかは周りが決めるのであって、

当人がどういうつもりであろうが、周りが自慢と思えばそれは自慢である。

自慢に出くわすのは、何気ない会話の中が多い。

私の場合、こちらが興味を示してもいないのにいきなり勝手な話を押しつけてくるタイプが苦手である。

例えば、

こちらが聞きもしないのに、なんの脈絡もなしに、

どこの誰々と知り合いだとか、最近こんなことがあったとか、

どうでもいいことをとうとうと喋り始める。

・・・だからなんだと言うのか。

「わあ、凄いね!」とでも言って欲しいのだろうか。

凄くもないし羨ましくもない。

そのレベルでこちらも思いつくことを話すとしたら、一日何千時間あっても足りない。

なんのために、どんな目的でそんな話をしているのか、私には理解できない。

そこに透けて見えるのは、

どうしても滲み出てしまう制御不能の自己承認欲求と、背景にある自信の無さである。

私は、これを突きつけられるたびに悲しくなる。

できるなら、もう出くわしたくない。

とても可哀相と思うが、

いい大人がそこから進歩できないでいる姿には言葉もない。

平気で話の腰を折ってくる神経に呆れ、絶句するしかない。

これが始まると、

こちらとしては色々と聞きたいと思っていたことがあってもそれ以上聞く気を無くしてしまう。

勘違いされ、さらに要らない話を延々と押しつけられるのがオチだからだ。

私の場合、会話を始めるのは相手に関心を持っているからであり、

大抵の場合、相手に質問をすることがメインとなる。

こちらから相手に関心を示すことにより、相手もこちらに関心を持つ可能性が生じる。

自分の話をするとしたら、それが前提である。

その上で、相手の求めがあれば、そこに応じるようにして少しずつ話す。

これが会話だと思っている。

一方的にこちらの話を聞いてもらおうという発想は浮かんでこない。

そもそもそんなことはあり得ないからだ。

誰かに聞いて欲しいことがあったとしても、

いきなりこちらの話を始めて、それが相手の耳に入るものでもない。

迷惑以外の何物でもない。

話かけるということは、相手の時間を奪うことでもあり、

その意味を少しでも考えれば、無闇やたらと話しかけることなどできない。

こうした配慮は、相手への最低限の礼儀ではないだろうか。

一見してヒマそうに見える人でも、口ではヒマだと言っていても、実はそんなにヒマじゃない。

だから私はいきなりどうでもいい話を押しつけられると、「もしかして馬鹿にされてる?」などと思ってしまう。

自慢する人をディスりたいわけではない。

もう絶望的に習慣として染みついているのだろうが、

できることなら、いい加減に気づいて、少しずつでも直していって欲しいと思っている。

まず、今一度自分自身を見つめ直してみて欲しい。

自分に都合のいい解釈はともかく、

客観的に自分を見つめた時にどう映るかよく考えてみて欲しい。

その時に「ああ、自分はダメだ。」と思ってはいけない。

色眼鏡を使わず、そのままの自分自身を直視することが求められる。

そうしないと、傷つくことを怖れて客観的に自分自身を見ることができなくなってしまう。

そもそも、物事に良いも悪いもないのだ。

どんな事象にも原因や理由がある。

自分にダメ出しするのが目的なのではない。

今よりも良い現実を手繰り寄せるために、

純粋に今の自分の傾向とその原因を把握することに努める。

そのことを肝に命じるべきだ。

そして、独特の癖があるのなら、何故そうなっているのかについて冷静に考えてみる。

この時も何かのせいにすることが目的なのではない。

原因が見つかったからといってそこに胡坐をかいたり、開き直っても何も良くはならない。

原因自体、どんなことであれ、酷い虐待であるとしても何も悪いことではない。

試練を乗り越えるために、その原因が存在している。

それだけのことである。

そのようにして原因を把握できれば、

自分のあり方を改善するためにどうしたら良いか、自然と道筋が見えてくる。

幼少期の家庭環境が影響していることがほとんどである。

寂しくて、誰かに認めて欲しくて、その不全感を大人になっても引きずってしまっている人は多い。

恥ずかしいことでもなんでもない。

隠すようにして強がっていてもバレてしまうのだから、

素直に認めて、そこからどうするか考えてみたらいいと思う。

つい自慢をしてしまうのは、人から認められたいからだ。

人から認められることを渇望しているが、

今のようなメンタルで人と接していても、

どんなに人から称賛されても、何も解決しないことに気づけるはずだ。

本丸は、「自分に自信がない。」

これである。

親から散々罵倒され続け、そこのところがおかしくなってしまっている人は多い。

そこが歪んでいる人ほど変に強がったりかっこつけたりする。

だが、何かを成し遂げた人だけが自信を手にできるのではない。

自信とは、自分自身に誇りを持つこと。

元々全ての人が持っているもので、仮に他者から大きく傷つけられることがあったとしても、

さっさと自身で取り戻すべきものである。

これといって特別な努力は必要ない。気づくか気づかないか、それだけのことである。

生きていれば様々な試練にぶち当たる。

その中で懸命に生きている。それだけで十分。

そう考えると、他者からの評価などどうでもよくなってくる。

好かれないよりは好かれた方がいいと思うが、

そんなことはものすごく小さなことだ。

それぞれ懸命に生きていれば、それぞれの事情でぶつかってしまうこともある。勘違いも起こる。十分に理解しあえていても、ぎくしゃくしてしまうこともある。

大切なことは、今この瞬間を、自分らしく当たり前の誇りを持って生きることだ。

そして、他者も自分と同じように頑張っていることに気づき、尊重することだ。

そう思えるようになれば、人に自分をわかってもらおうなどとは考えなくなる。

ウザがられるような、逆効果の自己アピールなどしようと思わなくなる。

ありのままの自分をそのまま受け入れることが、全ての起点になる。

そこに気づくだけで、力まなくても人生は楽になり、俄然面白くなってくる。

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