初詣のお神籤で「半凶」を引いてきた

正月三が日が過ぎ、仕事始め、大発会の朝を迎えている。

窓の外は今日も無風快晴。年が明けてからずっと好天が続いている。

この三が日は静かに過ごすことができた。郵便局に行ったのと岩見沢神社に初詣した以外は一歩も外に出ていない。

家族で妻の手料理を食べながら、今年何ができるかあれこれ考えていた。

うちの年末年始は、

大晦日は昼に年越しそばを食し、夕方から手巻き寿司というのが恒例になっている。

そして、元旦(元日の朝)は胃袋が疲れ気味だが雑煮をいただく。

他にこの時期の主役級の料理として、うま煮と煮しめがある。

これがとても美味しくて、晦日になると妻が大鍋にたくさん作ってくれる。

今年もつい食べ過ぎてしまった。

ここのところ雪かきをすることもなくひたすら食べ続けているので体が重い。

自宅の階段の上り下りをするだけでもかつて感じたことのない重さを感じている。計測はしていないが自己最高体重を更新しているのではないか。

そんなことを考えながら、昨日の午後、岩見沢神社へ初詣に行ってきた。

やはり参拝者が少ない。圧倒的に少ない。いつも鳥居の外側まで伸びている行列がなく、わたあめやお好み焼きの屋台もない。

家族三人で鳥居をくぐり、そのまま一気に本殿の前まで進む。

いつもは寒さをこらえながら長い行列に並び、その間にお賽銭を準備するのだが、昨日は本殿の階段を上る直前に慌てて財布を取り出した。

階段を上り、拝殿の奥に見える幣殿に向かってまずは目礼。

次は、ガラガラ(鈴)だ。

コロナ禍で全国の神社からガラガラ鳴らす鈴(鈴緒、本坪鈴)が取り外されているが、やはり体に染みついているものがある。右手が勝手にガラガラを探している。

鈴があろうがなかろうが、神社に来た以上は神々と繋がる気持ちに変わりはない。

なので私は、私なりの神々との交信モードに入ることにした。

周りに家族以外の人も少ないので「ガランガラン」と声(小さめ)を出しながら右手を左右に振りエアガラガラをしてきた。

そして、二拝二拍手一拝。

私はここで、日頃の感謝の気持ちと自身の決意をあらためて述べることにしている。

願い事は、ない。

子ども時分から良いことも悪いことも全て受け入れるつもりで生きている。

良いことだけ要求して、悪いことが来ないようにお願いするような気持には、私はならない。

だから昨日も、

ここまで無事に生きてこれたことに感謝し、これからも感謝の気持ちを忘れないことを伝え、

そのために今はどんな気持ちでいて、これから何をしようと考えているのか呟いてきた。

家内安全とか世界平和とかについては私も家族と一緒に口にすることもあるが、

突き詰めていくと、そうしたことは神社とは関係がない、と、私はそう思っている。

そもそも私は、私たちと神々は対等だと思っている。私たちと神々はともに感じ合い、育てあうものであると思っている。

だから未来がどうなるかは自身の心の在り方しだいであり、

今の思いを伝えることはあっても、神々にすがったりお願いするようなものではないと思っている。

脇の階段を降り、お神籤を引く。

ビン!と肩まで響くような、いつもより強い手応えを感じた。

なんと、「半凶」と出た。

今まで引いてきたお御籤は最低でも吉しか引いたことがなく、

凶系のお神籤は実際には存在していないかもしれないと思っていたくらいなので軽い衝撃を受けた。

だがいまいち意味がよくわからない。凶の半分くらいの程度の軽めの凶なのか、全体の半分が凶で残りの半分は吉という意味なのか。それ以外の意味なのか。

ネットで調べてみると、

神社によってお神籤の凶系の配分にはかなり違いがあることがわかった。

凶系は凶と大凶だけの神社が多いようである。また、近年は凶系の割合が低くなっており、大凶を外しているところもあるらしい。

やはり「半凶」はかなり珍しいのではないか。

因みに凶系の運勢順位は、

凶>小凶>半凶>末凶>大凶

半凶は凶よりも悪い運勢らしい。

衝撃を受けたが、落ち込んではいない。むしろ面白い経験ができたと思っている。

お御籤がどうであろうと、今までとなんら変わらず、全ては自分自身のあり方だと思っている。

その中で、事故や病気に気をつけないといけないと、戒めてくれているのだと解釈している。

今までも良いことだけでなく、悪いこともたくさんあった。

だが、最初は良いと思っていたことがしだいに微妙な作用をし始めることもあるし、その反対もよくある。

要は、自分の身の回りで起きる様々な出来事をどう受けとめ、消化し、今とこれからをより良く生きていくかに尽きる。

人間として生まれてきた以上、感情の嵐の中に置かれ続けることになる。

その中で何を感じ、何を作り出していくか。

苦行なんかじゃない。とても面白い。

この世に生を受けたことに感謝しないではいられない。

お御籤は未来予測と言うより、今のままだと心配なことを指摘してくれるものだと思っている。

たしかに、

幸運にかまけて粗末な生き方をしていると、当たり前だと思っていたことが手元からすり抜けてしまうような気がしている。

だが私は本当に痛い目に遭うまで気づけないのかもしれないとも思っていた。

そんな中、このお御籤のインパクトはなかなかである。

いつもは境内の木の枝に縛りつけて帰るのだが、

今回の半凶お御籤は持ち帰って神棚に置いている。

私の場合、

幸せにかまけ、辛いことから逃げるようにして食べてきた一面がないとは言えない。

食べ過ぎる癖が体を痛めているという実感が確実にある。

妻が毎日作ってくれている料理を、

私は本当に感謝しながらいただいてきただろうか。

おなかいっぱいになるまで食べるという行為で、行き場のない感情を発散させていたところが私にはある。

申し訳なかったと思う。

これからはもっと大切に命をいただいていこうと思う。

因みに、妻の引いたお御籤は大吉であった。

きっと、私の半凶はそのまま妻の大吉なのだろう(笑)

別離や転居、恋愛など、私と妻のお御籤を並べてみると微妙に関連してるようで面白い。

そんなこんなで今はお御籤ネタで盛り上がっている。

こうして他愛もない事に笑える日常に感謝している。

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