お喋りな人が苦手な理由

私はおしゃべりの長い人が苦手である。

おしゃべりにも色んなタイプがあるが、長時間付き合わされると苦痛になってくる。

中には相手の貴重な時間を奪っているという自覚がない人がいて、

こちらの事情に関係なく、求めてもいない話を次から次へと押しつけてくることがある。

そういう人に対して、私は言葉が出てこない。

会ったら話そうと思っていたことでさえ話す気がなくなる。

当人は満足そうだが、勝手に喋って勝手に笑うだけで言葉のキャッチボールを楽しむでもない。

表面上は人の話に配慮してる風を装っているが、人のことなど眼中にない。

一般に、よく喋る人はコミュニケーション能力の高い人だと思われているが、これはコミュ障ではないかと思っている。

毒親の母のこともブログに書いてきたが、母同様、お喋りな人にダメ出ししたいわけではない。

こういう人とも縁があったから今の私がある。その意味で感謝している。

だが会うたびに時間を取られ心を消耗することになる。

向こうは明るさを届けているつもりかもしれないが、はっきり言ってキツい。

これからも良い付き合いを続けていくために、できれば少しでも気がついて欲しいと思う。

付き合いが長いからとか、切っても切れない縁だからとか、

それはそうかもしれないが、あまりにも進歩がなく、それどころか逆方向に増長していくというのなら、

最後には私にも付き合いきれなくなる。

そうなることも覚悟しているが、できるならそこから抜け出して欲しいと思っている。

私には他人を見抜くこともコントロールすることもできないし、するつもりもないが、

この喧しさの根底には、不安と寂しさがベースにあると感じてしまっている。

見てきたものがほぼ同じだからかもしれない。

どこか私自身の投影を見ているようで、辛くなるのかもしれない。

不安や寂しさをどう処理するかは人それぞれである。

だが、生々しいものを繰り返し突きつけられるのは苦しい。

何よりも明白で絶対的な事実として私に迫ってくる。

そして、反対にその人は私から遠く離れていくような感覚に包まれていく。

長い間ずっと近くにいたのに、いつか見えるだろうと思っていた顔が、よく見えない。

目の前でくしゃくしゃに笑ってるその顔がのっぺらぼうにしか見えてこない。

これは私の問題なのだろうが、今はどう対処したらよいかわからないでいる。

本当に顔の見える人など滅多にいるもんじゃない。見えればよくて見えないのはダメってわけでもない。

今の私からは見えていないだけで、その人にも顔はある。

だが、今の私は疲れてしまう。

不安や寂しさを紛らわすようにして喋るタイプが、今の私は苦手である。

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