私の場合、児童相談所に勤務したことが一つのきっかけになって人生が大きく動き始めた。

誤解を怖れずに言うと、私の母親は毒親である。

私は、幼少期から抱えてきた複雑な思いを封印することにより表面上は平穏に生きてきたが、

仕事として様々な親子の問題と向き合っているうちに、ある時から古い傷がばっくりと開き、敏感なところがむき出しになってしまった。

会議中に気絶したような状態になったのも一度や二度ではなく、ストレスがあまりにも強すぎるために一時休職したことがある。

前にも言ったが、私は母親にダメ出ししたいわけではない。

母親が生んでくれたから今の私がある。だから感謝している。

母親はよくも悪くもない。母親は母親の事情の中で一生懸命生きている。それだけのことだ。

私は長男なので、母親を支えることが当たり前だと思ってやってきたのだが、

傷が開いてしまってからは、母親に近づくことができなくなった。

母親のことを少し考えるだけで、心身がどうしようもないレベルにまで疲れ切ってしまう。

だから母親と距離をおいた。幸いなことに妹と弟が理解してくれた。

母親から離れることに最初は罪悪感もあったが、それはかなり薄れてきた。

母親と私は無意識のうちに共依存の関係になっていた。

長年にわたり自分自身の人生を生きてこなかったことに、最近になってようやく気づくことができた。

恨みは無い。今さらやせ我慢もしていない。

失った時間はけして少なくないが、それなりに一生懸命生きてきたことに誇りを感じている。

今の私は、新しい気持ちで自分の人生と向き合うことができている。

こんな幸せなことはない。これも生んでくれた母親と理解のある妹弟のおかげである。

だから母親や妹弟のためにも、私は自分の心の声に従い、生きる。

児童相談所に配属されなければ、私の人生はまったく違ったものになっていたと思う。

苦しかったが、どこかのタイミングで私が乗り越えるべきことだったのだろう。

これからも色んなことがあると思うが、一つひとつ乗り越えていきたい。