最近、野球のことを考えることが多い。

私の頭の片隅には常に野球があるのだが、今は日本シリーズの真っ最中であり、頸椎ヘルニアで自分のスイングができないということもあって、いつも以上に野球のことを考えている。

小学生の頃の私はキャッチャーをしていた。肩が強かったのと、体が大きくてピッチャーが投げやすかったのだと思う。

当時は水島新司の漫画ドカベンが人気で、甲子園では浪商の香川が活躍していた。

私が目指していたのは「打てるキャッチャー」。

漫画ドカベンの山田太郎よりも浪商の香川に親近感を覚えていた。私は右打ちだったし、里中よりも牛島の球を受けてみたいと思っていた。

高校生になったら打てるキャッチャーとして甲子園で活躍するのだと思っていた。

小学生の頃の私は理想的なピッチャーのイメージを探していた。

一番はヤクルトの松岡弘。次点に大洋の遠藤と近鉄の鈴木啓示。

同時期に巨人の江川やロッテの村田もいたが、この二人は力があり過ぎてキャッチャーとしての面白みはあまりないと感じていた。

また、巨人の西本、広島の北別府、阪急の山田、西武の東尾などもいたが、彼らのピッチングにはそれぞれ独自の哲学を感じる。だから基本的にピッチャー主導で投げさせると思う。

松岡弘、遠藤一彦、鈴木啓示の三人は、

先発完投タイプとして十分な実績を挙げており、独自の哲学はもちろん、キャッチャーを信頼し、キャッチャーとの共同作業で試合を作ることに重きをおいているように感じていた。

彼らとは試合の中で濃密な対話が成立するような気がするのだ。

今までで一番球を受けたいと思ったのは、1978年日本シリーズの松岡弘である。

私は、松岡の調子と相手チームの状態や狙いなどを総合的に分析し、迷わずにサインを出す。

松岡は瞬時に私の意図を汲み取り、松岡自身が100%納得した上で魂のこもったボールを投げ込んでくる。

当時の私は小学生だったが、大矢明彦に代わって自分がキャッチャーのつもりで松岡のピッチングを食い入るようにして見ていた。

遠藤一彦も素晴らしかったが、当時の大洋は万年Bクラスでチーム自体が勝ち方を知っている感じではなく、完成形をイメージするまでには至らなかった。

鈴木啓示は私が見た時には晩年であり、往年の球威は無いが最後まで完投にこだわり続けていた印象が強い。キャッチャーとして共同作業をしてみたいと思うところがあった。

キャッチャーとしての夢はなんとなく遠ざかってしまったが、

私は、誰かとの共同作業で何かを作り出したいと思っているのかもしれない。